ここでは、あらためて宮沢さんが自然の深奥にある真理をどのような視点で究めようとしたのかということについて考察しておくことにします。それは、そのことを通して、我国における近代の夜明けの時期に興った新体詩運動における宮沢さんの文学の位置を確認したいからです。すなわち、新体詩運動には、宮沢さんと同じく自然がもつ深奥の真理を明らかにしたいという夢が孕まれていたからです。そのためにも、まず、その点に関する先述した島崎さんの次の問いを再度確認しておきます。島崎さんは問います、
自然の深奥の真理探究の道はどのような視点でおこなえばよいのだろうか。「儒教の道か、老荘の教か、佛想か、自然主義か、愛國の念(おも)ひか、侠勇の心か、ヘブライの想か、ヘレニズムか、將(は)たまたルウソオ、ボルテエア等が鼓吹せしといふ如き革命的の思想か、バイロニズムか、ウェルテリズムか、いずれか吾風土人情に適し、いづれか吾純粋なる日本想の基となすに適すや。」とです。
これまで繰り返し考察してきたのですが、宮沢さんの自然を観察し、自然の声に耳を傾けることで自然の有している深奥の真理(法)を明らかにするために選んだ道は、島崎さんの上記の文章にある表現で言えば、「佛想」でした。そして、その自然観察の視点として定めたのが、自然の有している美しさ、または聖性と穢れ・醜さ、または悪魔性とを正しく見分けるという視点でした。では、そうした宮沢さんの自然観察法による文学活動は当時の新体詩運動という時代潮流の中にどのような位置を占めるものだったのでしょうか。
この問いについては、久保天髄さんの当時の新体詩運動批判の議論が参考になるのではないかと思います。久保さんは、漢学者ですが、文学の評論などもおこなっていた方です。また、自然を観察し、そこで感じた感動を文字に表し表現する詩作を提唱していた方でもあります。とくに、久保さんは、その詩作の使命とは、自然の深奥にある神秘を明らかにし、表現することであるとの主張を展開していました。その久保さんは、当時の新体詩運動を次のように批判しています。すなわち、
「余輩は、今日の新聞雑誌に掲載する新體詩なむどが、如何に多くの愛讀者を得て、喧傳せらるとも、その内容たる思想の刷新を見ざる以上は、未だ文學の完全なる發達となし、手を撃て慶すること能はざるなり。況んや思想の承嗣は、動もすれば沈滞に流れ、頽廃に歸することあるに於てをや。」(原文にあった⃝による強調は省略して引用しています。)
「ことに厭忌の情に堪へざらしむるは、新出の靑年詩人が失戀の餘に出でたる厭世的口吻の泣言の流行なり。勿論戀愛の神聖を主張せし人への在りし今日此頃、余輩は必ずしも之を斥けて卑陋といひ猥褻といふの野暮は為さずといへども……この種の文字の普遍的感化の結果は、靑春妙齢の人を驅りて、昔男うつろひ易き花ひと時の戀の戯に浮身を寠さしめ、更に下れば禽獸を去る一歩底劣情の奴隷たらしめ、あたら克己進取の熱誠なる性情を消失せしめむかにあるなり。之をかの王朝時代の淫靡なる風俗と聯關して發生せし柔軟文学に比較して幾許の逕庭かある。而してこの種のへな(へな)文學が新しき手を藉りて、春雨のふるごとに萌へ出る庭上の小草の如く、讀出せむとする傾向のほの見ゆるに至りては、余輩遂に言ふ所を知らざるなり。」(原文にあった⃝やヽによる強調は省略して引用しています。)
上記の引用文からも分かるように、久保さんは、まるで島崎さんの新体詩に的を定め、へなへな文学との痛烈な批判をしているのです。では、久保さんは、新たな時代の到来にふさわしい文学とはどのようなものでなければならないと論じていたのでしょうか。この問いに関しては、次のような主張を展開していました。すなわち、
「國民的大詩人の現出は、余輩が夙に鶴首して望む所。且つ夫れ國家の強盛時代は眞摯熱誠なる文學の出づるべき」であり、そうした國家強盛時代に、「浮華柔艶の文學は家の生命を縮少すること、東西の歴史、證し得て歴歴たり」とです。
ところで、久保さんの国家強盛時代の大文学についての主張が非常にユニークなのです。一般的に言えば、国家強盛時代の大文学とは当時の富国強兵政策を美化し、鼓舞するような文学ではないかと考えてしまいかねないのですが、久保さんのそれはそうした内容と大きく異なっているのです。久保さんは、主張します、
「嗟呼、今の詩人たるもの、南荒遠戍の征夫戰鬼、近くはまのあたり孤児院裡乳に啼くの人に同情を寄するを欲せざる乎。余輩が献芹の徴衷、之を括言すれば、心胆を開張し視聽を廣くし、上は無窮宇宙のきはみより、下は人生康衢のほとりまでを眺め盡し、承嗣せる舊時の厭世的思想を去り、眞摯熱誠の情を以て文字を驅使するを勉めよといふにあり。若し夫れ、情熾に血湧くの時、或は嘲俗に趨き罵世に流るヽとあらばさらに大に觀るべきと爲すなり」(原文にあった⃝やヽによる強調は省略して引用しています。)とです。
久保さんは、「無窮宇宙」から「人生康衢」まで眺め尽くし、観察し、その心象を文字を駆使して表現せよと主張しているのです。そしてその文学観は、宮沢さんの文学観にも重なっているように感じるのです。しかし、そうした久保さんの国家強盛時代の大文学者論は、仏教とどのように関係していたのでしょうか。気になります。
竹富島・白くまシーサー・ジャンのいちファン