シニアノマドのフィールドノート

生き生きと生きている人を訪ねる旅日記です

他者とともに暮らすを楽しむ

 昭和村の自殺者ゼロの秘密はどこにあるのでしょうか。社会学はその秘密にどこまで迫ることができるでしょうか。きちんとした研究成果ではありませんが、学生たちとフィールドワークの授業で昭和村の方々と交流したときに感じてきたことを基にして考察してみたいと思います。先に結論を述べておくならば、昭和村にはどうしたら楽しく他者とともに暮らすことができるのかということについての生活の知恵があふれており、実際にも、昭和村の生活文化は、他者とかかわること、一緒にすごすことを楽しんでいる生活文化なのではないかということです。そうした生活の知恵や生活文化が昭和村を和泉さんが言われる「生き心地の良い地域」にしているのではないでしょうか。

 では、他者とともに暮らすを楽しむとはどのようなことなのでしょうか。私たちの社会の中での日常生活における行動は、大きく分けて次の3種類に分類することができます。第1には、お金を稼ぎ出すための行動です。その行動をここでは労働と呼ぶことにします。第2は、お金を稼ぐためではありませんが生活するために必要とされる行動です。それを仕事と呼ぶことにしましょう。そして、第3は、余暇的な行動や他者や社会のための奉仕的な行動で、活動と呼ぶことにしたいと思います。その上で昭和村の生活文化を見てみると、昭和村では広い意味での仕事と活動を通して人々がつながり合う文化が根付いている地域社会であるように感じられます。そのように感じた過去のフィールドワークの中でのエピソードを紹介したいと思います。

 まず小野川集落で「凍み餅揚げ」という加工食品をつくっているお母さんのグループにお話を伺ったときのことです。凍み餅揚げは昭和村のおもてなしのための手作りお菓子です。和泉さんたちが、「出会える昭和村を伝える」ために作った『この村で暮らすこと、生きること』という小冊子には、そのことが次のように紹介されていました。

  「誰かの家に遊びに行く時、あるいは、誰かが『これから訪ねて行くよ』と電話をくれた時、村の女たちが台所ですぐさま用意し始めるもの。それが凍み餅揚げである」と。

  小野川集落のお母さんたちはその凍み餅揚げをつくる食品加工グループをつくり活動しているのです。ある学生は、その活動について、インタビューした内容を報告書に次のように紹介しました。

  「現在食品加工グループは8人しかおらず、冬にしか生産することができないあためた大量生産は出来ず、販売も昭和村の中でしか行っていないというが、その売れ行きはかなりのもの」ですと。

  そうした現状を知った学生は、集落の方々との交流会の場で、凍み餅揚げはもっと大規模にし、ビジネスとして発展させてはどうでしょうか。そうすれば集落の経済も活性化すると思いますと。しかし、食品加工グループのお母さんたちにはその提案は不評でした。大規模化し、ビジネスすれば忙しくなり、労働に束縛され、自由がなくなるだけでなく、楽しくなくなるというのがその不評の理由でした。お母さんたちは、自分たちのペースで、ゆとりをもって、和気あいあいと仲間同士交流することがグループ活動の目的だったのです。学生はそれを報告書で次のように表現していました。

 「凍み餅揚げをビジネスの中核に据え」てはどうかと提案してみたが、「作っているお母さん方には全くその気がないようで、あくまで自分たちの生活の楽しみとして、それを通じてコミュニケーションを取りたいという目的で行っていた」のですと。

 

     竹富島・白くまシーサー・ジャンのいちファン