シニアノマドのフィールドノート

生き生きと生きている人を訪ねる旅日記です

人を救う道を求める

 宮沢さんが法華経に出会い身震いするほどの感動をおぼえたさらなる理由は、法華経が苦しむ「一切の衆生」を救う道を宮沢さんに示してくれたからではないでしょうか。宮沢さんの生き方を理解するために付け焼刃で読んだ仏教関係の本の受け売りになりますが、それはどのようなものであったのか、類推してみたいと思います。

 仏教関係の本を読む中で「仏教は心の病院」であるという表現に出会いました。生老病死をはじめとして人間が生きていく中で誰しもが必ず苦しまなければならない心を、仏道の道を示し、誘うことで安楽・安寧な状態に導いてくれるのが仏教だと説明されていました。それは、「抜苦与楽」と言うそうです。仏教において、人を救うとは、その「抜苦与楽」のことなのです。

 ではどうしたら人は救われるのでしょうか。仏を信じるということでは共通していますが、しかしそのための方法が宗派によってさまざま異なってくるようです。またその違いの背後には、私たちが生きている世界と救われたあとの世界との関係性、そして私たちの死後の世界との関係性をめぐる考え方の違いがあるようなのです。

 ではどのような違いがあったのでしょうか。社会学はそうした違いを考察する場合、さまざまな考え方の違いの背景となっている時代的・経済的・政治的・社会的状況との関係の中で考察しようとします。その視点で見ると、仏教用語でいう「末法悪世」の世の中にどのように向き合ったらよいのかをめぐってさまざまな考え方の違いが出てくるようです。

 宮沢さんが信仰するようになった法華経のその点に関する特徴とはどのようなものであるか、戸頃重基さんの『鎌倉佛教 親鸞道元日蓮』を参照して確認することにしたいと思います。まず道元さんの「末法悪世」への向き合い方から確認してみたいと思います。道元さんは私たちが生きているこの世界こそ仏の世界に他ならないと考えていたようです。またその「この世」がどんなに苦しみに充ちているように見えても仏法が支配している世界であるとも考えていたのです。

 そのことは鎌田さんの『正法眼蔵随聞講話』によれば、「道元が説く自受用三昧(じじゆうざんまい)」という教えになるそうです。すなわち、道元さんは「自己の見解に執する必要を認めない」のです。「浄土(じょうど)と穢土(えど)、迷(まよ)いと悟(さと)り、凡(ぼん)と聖(せい)とを区別することも妄想であるし、……われわれの生活そのもの、生きているそのことが仏法だと思うのも妄想であり、われわれの生活を離れたところに、別に仏法があると思うのも妄想」なのです。

 また「釈迦の滅後、仏教の隆替・変遷」である正法、像法、そして末法という「三時」の考えも「妄想」だと言うのです。仏法が支配している「この世」だけが存在しているだけなのです。そうした仏教観の下、道元さんは出家者の人にはすべての世間的価値を捨てひたすら仏法の真理を探究する「只管打坐(しかんたざ)の精神」による修行を求めています。また出家者でない人には自分たちの社会的・仕事的役割(家業)に専念し、できるだけ仏法に従った生活をおくることを進めています。そうすることで少しでも安寧した気持ちをえることができるというのです。

 しかし道元さんなどの新しい仏教が興ってきた時代とは、生半可ではない厳しい、乱れた世の中の状況だったのです。そのことを戸頃さんは次のように描いています。末法思想が日本社会の中に広く社会に根づいていった平安末期の時代には、「源平の争乱がくりひろげられる」という人災だけでなく、「そのうえ天災地変や飢饉疫癘(えきれい)が続発するという有様」なのでした。そのため「末法思想は、たんに釈迦滅後の仏教史を予言するだけでなく、この時代に生きる人びとの絶望感を表現する社会思想」だったのです。

 親鸞さんは、そうした「政治や経済の激変だけではなく、……歴史に記録されるような大飢饉にも出会っていた」のです。戸頃さんはそのときの社会状況を鴨長明の『方丈記』の記述を取り上げて紹介しています。

 「食を乞い求めて歩き、たちまち倒れるもの、死骸となった母の乳房を吸う幼児、……餓死者をかぞえると四万二千三百体にもおよんだ、という地獄草子さながらの惨状を、『歩くかと見れば、すなわち倒れ伏しぬ。築地(つきじ)のつら、道のほとりに飢え死ぬる物(ママ)のたぐいも数も知らず。取り捨つるわざも知らねば、くさき香世界にみちみち……目もあてられぬこと多かりき』と描写して」いたのですと。

 戸頃さんは言います。「こういう不幸な惨状を伝聞し、あるいは目撃して、人力ではもはやどうすることもできなければ、親鸞や長明でなくても、人の世の空しさと浅ましさに世間を逃げだしたくなるであろう。当時の人たちにとって、生きるとは、どうすれば死なないですむか、ということにひとしかった」のですと。

 親鸞さんもその一人ですが、浄土教の諸宗派の人たちは、地獄絵図のような「この世」だけでなく、極楽浄土の「あの世」があると考えたのです。そして、「この世」では決して生きる苦しみから救われることはないが、「あの世」に行けば一切の生きる苦しみから解放された「極楽浄土」で救われると説いたのです。

 ではどうしたら私たちはその「極楽浄土」に行けるのでしょうか。今死ぬかもしれない状態の人に特別の修行を求めることはできません。容易で即効性のある救いの道でなければならないのです。そしてその道とは、一切の苦しむ衆生を救うという本願をたてた阿弥陀様を信じ、「南無阿弥陀仏」と念じ唱えるというものでした。

それでも難しさが残っているように感じます。問題は明日死ぬかもしれないというような窮地に直面し、人間不信にも陥っているかもしれないなかで、本当に阿弥陀様の存在とその力を手段としてではなく心から信じることができるのだろうかということではないかと思います。

 

          竹富島・白くまシーサー・ジャンのいちファン