シニアノマドのフィールドノート

生き生きと生きている人を訪ねる旅日記です

自分の生きる居場所を見つける旅の旅人たち(2)

 2007・8年当時、私が宿泊していた竹富島にも、自分の生きる居場所を求めて旅をしていると思われる多くの若者を見かけたものでした。彼ら、彼女らは、竹富島で、民宿のヘルパーや、飲食店やお土産屋さんでのアルバイトなどをしていました。星砂のある浜として有名なカイジ浜で星砂のお土産を販売していた若者たちの中にも、その旅の途上という人たちもいたのではないかと思います。そうした方々は、長くて2~3か月、短い場合は1~2週間くらいで竹富島を去り、次の地域へ旅立っているようでした。

 何人かに話を聞いてみました。その中に、どこで、だれと、どのように暮らしていけばよいかを探しながら、自分の居場所との出会いを求めて旅をしていると思われる方たちも少なくありませんでした。興味をもったのは、その旅の中で、北方の旅のひとつとして利尻・礼文島も訪れている人も多くいたことです。地理的に日本の北と南の端の地域社会には、そうした方々を引き付ける何かがあるのだなと感じました。同時に、そうしたノマド生活は決して稀なことではなく、現代社会の生活の形のひとつとして、普通にあるのだなという思いも生まれました。自分もその一員ということもあり現代の「遊牧民」に幸あれと願わずにはいられません。

 どこで、だれと、どのように暮らすのかということは、自分の思いだけでは決まらないのが世の常です。とくに不安定性と動揺性、そして不確実性を深めている現代社会においてはそうなのではないでしょうか。日々の生活の中では、いつ、なんどき、どのようなことが自分の身に起こるのか、分かりたくても分からない不安がつきまとっているように思えます。人は、そうした中、思いもよらない困難に直面せざるをえなくなったとき、その困難をどのように乗り越えようとするものなのでしょうか。

 そうしたことを考えていたとき、2007年11月に出版された下川裕治さんの『日本を降りる若者たち』という本に出合ったのです。話の舞台は、「世界一のゲストハウス街が広がっている」タイ、バンコクのカオサンです。そこは、「もともと、バックパッカーとか貧乏旅行者」が集まる宿街です。ここに日本から長期滞在する日本の若者たちが押し寄せていたというのです。それらの若者は何をするのでもなくただまったりとした生活をおくっているだけだそうです。そうした若者の旅の形は、バックパッカー史の中でも新しい現象だと下川さんは言います。下川さんは、そうした若者旅の姿を「外こもり」と表現しています。その理由は、カオサンで生活している若者たちは、「どこか日本という舞台から降りてしまったようなところがあった」からです。

 では当時「日本という舞台から降りてしまう」多くの若者が生まれていたのでしょうか。下川さんの見立ては、「先進国に生まれ育った若者が抱きはじめた閉塞(へいそく)感であった。このまま社会に出て、父親のようにがむしゃらに働いて自分の人生は充足するのだろうか……という疑問でもあった」というものです。また、「終身雇用制度の崩壊によって、社会が自分のやりたいことを明確にもつことを若者に要求するようになったことが、若者の自分探しの旅に繋がり、それがタイで暮らす若者を生み出した」とも見ていました。そして、そうした若者たちを見る下川さんの眼差しには温かいものがあると感じました。下川さんは言います。「日本の社会という人生の舞台をいったん降り、……緩やかなタイのペースに身を委ね、無理をせずゆっくりと生きることもまた、自己実現のひとつのあり方なのである」と。

 同じ時期八重山地方に押し寄せていた若者らの旅はどのように理解したらよいのでしょうか。

 

     竹富島・白くまシーサー・ジャンのいちファン