シニアノマドのフィールドノート

生き生きと生きている人を訪ねる旅日記です

自分の生きる居場所を見つける旅の旅人たち(1)

 私がフィールドワークで訪れるようになったとき、観光客、移住者、そして自分の人生を探す旅人が押し寄せてくるようになったことに関する議論が沸騰していました。多くはよそ者が押し寄せてくることで八重山地方の自然、生活、文化が破壊され、大きく変わってしまうのではないかという危惧感や危機感を表していました。地元紙である八重山毎日新聞は、2006年5月25日から、「八重山の針路と選択 変わりゆく島の自然・文化・暮らし」の連載をはじめていました。その企画は、毎週木・日曜日に掲載されていたのです。第1回目の記事の見出しは、「移住者も増加、幽霊人口5000人? 未来へ何を守り、何をすべきか」というものです。そしてこの企画の第1部は、「『八重山らしさ』とは何か」を問おうとするものでした。

 その記事では、実際に旅にでることで自分の人生の旅をどのようにするか、すなわちどこで、だれと、どのように生きていくのかをさがすために八重山地方に来ている旅人に対しては厳しい論調となっていたように思えます。連載記事は、「本土からの移住者は八重山のどこに魅力を感じ、何を求めて移住してくるのだろうか。そして、八重山はどのように変わっていくのだろうか」を問おうとするものでした。実際移住した人を紹介し、その方々の気持ちを尋ねていました。本土からの移住者が増えている現状をどう感じているかという質問もしていますが、安易な移住希望者にクギをさそうとする意見が多かったのです。

 「生活力がないのに夢だけ描いて来るのが一番困る。テレビも十万円あれば誰でも生活できるという安易な放送をしてほしくない。生活力がないと悪いことをしてしまう。結果的に地元の人に迷惑をかけてしまう」(2006.6.1記事)。

 「確かにここ数年、本土からの移住者が増えたと感じる。安易な情報から生活力もなく、あこがれだけでは来てほしくない。いろいろな人がいるが、一生懸命やっている人も多いので、ひと言で『ナイチャー』と言ってほしくないと思う」(2006.6.29記事)。

 2006年10月9日には、ヤイマー(八重山地方では、自分たちを呼ぶ呼称として、沖縄本島の人たちが自分たちをウチナンチューと呼ぶのとは区別して、ヤイマーと呼んでいます)の金城正康さんも、「貴方たちの色に染めないで」という随筆を八重山毎日新聞に寄稿していました。

 それは、「ここ十年来大和人の移住者たちが異常なほど増えています」。「しかしながら彼、彼女たちはこの島に何を求めてきているのか、他島に移住して来るにはその土地の文化や人々の価値観を十分理解し認識し、なおかつ文化や価値観を共有してこそ、隣人として良きお付き合いが出来るものと思います」。「遅かれ早かれ島人の心も次第に大和文化に染まっていくでしょうね」。「そうであっても私の孫たちはこの島色に染まって育ってくれればと思います」というものでした。

 私がフィールドワークのために初めて八重山地方に足を踏み入れた2007年にも、コンビニなどの前に、何をするのでもなくたむろしている地元出身者ではないと見える若者たちの姿をよく見かけました。石垣市立図書館などもそうした若者たちのたまり場となっていたと思います。夕方から夜になると公園やちょっとした広場が彼ら、彼女らの生活空間となっていたのではないかと記憶しています。当時のそうした風景を見ると、確かに先に参照した諸意見の中の危惧感も分かるような気がしたものです。

 では、なぜ、何を求めて八重山地方に来るのかと言われるような若者たちが、大挙して押し寄せていたのでしょうか。自分の生きる居場所を求めてというのもそうした現象が生み出された要因を理解するためのキーワードのひとつとなるのではないかと考えてきました。ハッキリとした根拠があるわけではないのですが、八重山地方に来れば自分の生きる居場所が見つかるのではないかと思えたのではないでしょうか。八重山地方の何が彼ら、彼女らにそのように思わせたのか、探究することができればなあと願ってきました。なぜならば、それが分かれば、現代社会に中でどう生きたらよいか迷っている学生たちに少しでも有用なアドバイスができるようになるのではないかと感じたからです。

 

     竹富島・白くまシーサー・ジャンのいちファン