シニアノマドのフィールドノート

生き生きと生きている人を訪ねる旅日記です

姫島の生活文化を守る

 人口減少問題に対処するため役場職員の給与を削減するという政策を採用した姫島村海士町、しかし、削減し浮いたお金をどう使うのかという点でそれぞれの地域の個性が現れています。海士町が重視したのは何よりも新産業創出による経済活性化を優先するというものでした。結果として雇用が生まれ、町外に出ていく人がなくなり、逆にUターンやIターン者により人口の増加が生まれることを期待するというものでした。

 当時町長として指揮をとった山内さんはその戦略を次のように述べています。

 「島が生き残っていくためにやらなければならないことは、何といっても島に産業をつくり出すことです。この島で人が暮らしていくために、収入の手段を確保すること。それができれば、島の人たちが仕事を求めて外に出ていく必要もなくなりますし、逆に外から人が来てくれるようになるでしょう」と。

 事実海士町ではその戦略が成功し、島の経済活性化を実現するとともに都会からのIターン者が押し寄せる島として全国的にも有名になっていったのです。では姫島村ワークシェアリング政策はどのような性格をもっているのでしょうか。

 姫島村ワークシェアリングの場合は、新産業の創出によって雇用の場を創り出すと言うよりは、役場職員数を増やすことで雇用の場を確保するというものでした。それは、特に島で生まれ育った若者が島に残ってくれることを期待するものでした。

 フィールドワーク時に姫島村で対応して下さった方は、長年ワークシェアリング政策を役場で担当され、当時はすでに退職されていた中元一郎さんでした。中川さんには、姫島村ワークシェアリング政策の歴史と概要についてお話を聞きました。また政策に関する資料も提供していただきました。さらにワークシェアリング政策によって採用された役場職員の方々のインタビューをコーディネートしていただきました。中元さんのご協力により女子1名、男子3名、計4名の方からお話を聞くことができたのです。

 姫島村ワークシェアリング政策についての中元さんの説明は大変興味深いものでした。日本一低い給与で職員の方々に不満はないのかということに関しては、姫島ではその給与でも十分生活することができると話してくれました。ほとんどの島民の人たちは自給用の家庭菜園をしているだけでなく、自家用を超えたものについてはご近所同士でお裾分けする慣習があるため、日常の食費にそれほどお金がかからないというのです。また離島の小さな社会での生活にはそれほどお金もかからないといいます。しかも、他の職業の人たちの収入と比較すると役場職員の方の給与は相対的に高いそうなのです。

 仕事の場と仕事から得られる経済的利益をシェアするという生活文化は役場におけるワークシェアリングにだけ限られている訳ではないともいいます。姫島村の主産業である漁業などでもそうした文化が生きています。漁期や漁法の取り決めがあり、漁場も各漁家相互の公平性を図るために毎年くじ引きで決めているのだそうです。

 血縁・地縁の社会関係も生きており、地区ごとに独特の盆踊りがあることからも分かるように、地域コミュニティにおける相互扶助もいまだ健在なのです。例えば各地区で消防団が組織されており、自分たちの生活を自分たちで守っているのです。

 中元さんは言います。姫島は助け合いの精神と相互扶助の精神に富んだ島です。そのため島民たちはお互いの生活状況をよく見えているのです。姫島は犯罪がなく、火事もなくとても住みやすい社会なのですと。中元さん自身生まれてからずっと姫島で暮らし続けてきたのだそうです。

 中元さんの姫島村の生活文化の話を聞きながら、姫島村ワークシェアリング政策が実現した背景にはそうした人と人との関係性があったからではないかと感じていました。また中元さんは姫島の生活文化をこれからもずっと守り続けて行きたいというのでした。

 

     竹富島・白くまシーサー・ジャンのいちファン