シニアノマドのフィールドノート

生き生きと生きている人を訪ねる旅日記です

姫島村地域づくりの希望の光

 姫島村の地域づくりとはどのようなものと見ることができるのでしょうか。それは、経済的利潤性を追求するものではなく、姫島の日常生活における支え合い・分かち合いの生活文化を公共生活の中にも新たな形で広げ、体現するものであると言えるのではないでしょうか。それは、公行政がイチシアィブをとり、姫島の生活文化を継承し、より発展させるものでもあると言えます。すなわち、そうした地域づくりによって、ますます個人化が深化している現代社会において、「支え合いと分かち合い」の生活文化が新たな形を得て存続可能となっていくと考えられるのです。

 一般的に言っても、地域住民の人たちが日常生活をおくる上で厳しい状況を抱え込まざるをえない過疎地などの地域社会においては、行政が住民の生活を支えようとしてきていました。とくに離島社会に見られてきたのではないでしょうか。

 例えば現役の教員生活をしていたときに、ゼミ活動の一環として学生たちとともにフィールドワークで訪れた北海道の奥尻島もそうでした。奥尻島では、そのとき民間の自動車修理工場がなく、町営の修理工場があったのです。町役場の方から自動車修理工場で働いている人たちは、社会的身分としては役場職員なのだとの話を聞いて学生ともども驚いたことを記憶しています。また奥尻町は南西沖地震によって大きな被害を被った島なのですが、被災後落ち着きを取り戻した後も、避難者の方々に孤立死孤独死を一人もださなかったことも学びました。

 通常大きな自然災害があったときには、落ち着きを取り戻したあと、被災された方々が社会的に孤立してしまうことが大きな社会問題にあることが少なからずあります。その自然災害の被害が大きければ大きいほど、被災直後の混乱期よりも落ち着きを取り戻しつつあるときにこそ、被災者の物理的・精神的孤立状況は強くなる傾向があると言われてきました。なぜならば混乱期にはとりあえず生き延びた喜びを感じますし、さまざまな形での、被災者同士での支え合い・助け合いが生まれますし、さらに外部からも支援が寄せられるからでもあります。社会的孤立感よりも支えられている感や絆感を感じることができる瞬間なのではないでしょうか。

 奥尻島では、そうした混乱期を過ぎ、被災者の精神的ケア支援を担った専門家の人たちも去ってしまったあとにも、地域の中で住民の方相互の精神的なケアと交流が続いたのだそうです。例えば一人暮らしの方々も気軽に参加できる町内会主催のカラオケの集まりなどが頻繁に開催されていったということでした。そうした相互交流・ケア・支援などによって被災後独り暮らしになっても精神的に強い孤立感を和らげることができものと考えられます。

 社会学を含む社会科学の分野では、そうした人々の信頼と交流、支えあい・助け合い・分かち合いの関係性を社会関係資本と呼んできました。上述の奥尻島社会関係資本が豊かな地域社会であるとみることができるでしょう。姫島村もそれと同様に豊かな社会関係資本に恵まれた地域社会であることはこれまで繰り返し見てきたところです。しかも、姫島村では、行政がイニシアティブをとって新たな形での社会関係資本を豊かにするための地域づくりが続けられてきたのです。

 ではその姫島村における地域づくりの将来はどのように展望することができるのでしょうか。まず姫島の「支えあい・分かち合い」という生活文化の存続可能性についてはどうでしょうか。姫島の方々は、必ずやその文化を継承し、より新たな形で発展させて行ってくれるであろうと考えます。その考えの根拠となるのは、姫島村市町村合併にどのような姿勢で臨んできたかということにも示されていると思います。

 前にも参照した『姫島の歴史』の著者・木野村さんによれば、「昭和二十九年(一九五四)町村合併促進法が発令された時」も平成の大合併のときも合併することはありませんでした。「合併後のワークシェアリングの存続の妥協案が見出せな」かったことが平成の大合併のときに姫島村が合併しないと決断した一つの理由でした。木野村さんはその決断を「合併を選択せず自主独立の村づくりをめざす」と評価しました。

 それは社会学の分野だけのことではないのですが、学問的な研究法のひとつとして、厳しい歴史の風雪に耐え長期に渡って存続してきた事例から、どうしたらこの変動の激しい現代社会においても生き残っていけるのかを明らかにしようとする方法があります。事例研究という研究法です。例えば、100年企業の研究であるとか、明治維新以降現在においてもなお生き生きと活動している農村集落・コミュニティに関する研究などがあります。

 この意味から言えば、姫島は古い歴史を有している地域社会です。木野村さんによれば、「姫島は、古事記日本書紀に登場し、縄文時代には黒曜石が瀬戸内海を通じて人々との交易がおこなわれ」ていたなど、「恵まれた自然と独自な歴史的風土のなかではぐくまれてきた」地域社会です。そうした長い歴史の中で育まれ、存続してきた「支えあいと分かち合い」という姫島の生活文化は新たな時代の荒波の中でも姿を変えて存続しつづけるのでないでしょうか。

 しかし、だからと言って、姫島には何の問題もないということではありません。その最大の問題はこれまでもそうであったように人口減少問題なのではないでしょうか。ワークシェアリングだけでは、やはり人口減少、とくに若い人たちの人口流出が止まらないのです。中元さんも人口減少が姫島村における一番の問題であると話されていました。ワークシェアリングによって役場職員となった方々へのインタビューの中でも人口減少への危機感が話されていました。

 「人口減少に何もできていないのが現状である」、「島に残っている若者のなかに人口減少による島の未来に危機感が共有されている」等々の人口減少が姫島村の大きな課題であるとの証言があったのです。しかし、同時にこうした現状に対して、「島に残り危機感を共有している若者たちが集まって何とかしたい」という話もしてくれていました。そうした思いこそ姫島村の将来へ向けての希望でもあると感じました。そうした思いをもった若者たちが活躍できるようになっていくことを心から期待したいと思います。

 

          竹富島・白くまシーサー・ジャンのいちファン