シニアノマドのフィールドノート

生き生きと生きている人を訪ねる旅日記です

姫島村役場の職員像

 ワークシェアリングで役場職員となった方々は島の人たちとどのような関係性を築いているのでしょうか。別の言い方をすれば、姫島村の役場職員の方々はどのような形で地域の人たちの生活を支えようとしているのでしょうか。ワークシェアリングで役場職員のなった方々へのインタビューをするなかでそうした思いが心に浮かんできていました。

 なぜならば、インタビューをしているときに、インタビューをした方々が姫島への愛着と島の人たちの生活を支えてあげたいという前向きな気持ちを感じていたからです。それは、例えば26才の方の次のような話に表れているように感じたのです。

 この方はインタビュー当時税務課で働いていました。そして働いているときに心がけていることとして島の人について情報通になることであると話してくれたのです。それは、「極力島の人のことを考えて仕事をしたいから」です。「仕事で対応している人のことを良く知っていればその人の立場にたったアドバイスをすることができるから」なのですと。

 フィールドワークのときに姫島を案内して下さった当時村役場の総務課に勤めていた江原不可止さんは、姫島村におけるワークシェアリング政策の背後にある生活文化とそうした生活文化の中での役場職員の方々の働きぶりについて、農文協が発刊している『季刊地域』という雑誌に次のような論説を寄せていました。

 姫島村は「資源の限られた地域で、みんなが分かち合い、幸せに暮らしていくための知恵が、明治の頃には、すでに明文化されて」いたのです。姫島村ワークシェアリングは、そうした「分かち合い」の生活文化から生まれたものなのです。

 それは、村役場職員が地域社会に文字通り奉仕的に関わろうとする働き方にも現れています。「村ではワークシェアリングのほかにも、他の自治体では見られない独自の施策を行っています。いずれも『人件費ゼロ』で事務職員も現場で汗をかく施策です」。それは「人件費ゼロの『出勤する』施策」で、「松くい虫の防除作業」、「カーブミラー立て」、そして「流木・土砂の撤去」の3つの作業ですと。

 そうした姫島村役場職員の方々の地域社会への思いや仕事ぶりを見ていると、姫島社会がかつての地域生活共同体であるむらで、役場職員の方々の仕事はその生活共同体におけるむら仕事であるかのように思えます。そうした意味で姫島村役場職員の方々は、地域社会から超然とした存在で地域社会の人々を支配し、管理する官僚制度における官僚たちというのではなく、文字通り姫島社会の一員である人たちなのだなと感じたものです。

 幸福度世界一の国と言われているデンマークの幸福研究所のマイク・ヴァイキングさんは、「大半の国際的幸福度調査では、都市部より田舎のほうが概して幸福度が高いことが分かります」(『デンマーク幸福研究所が教える『幸せ』の定義』)と言います。そのひとつの大きな要因は「私たちが比較対象する相手」では、都市部では概して貧富の格差が大きいことがネガティブな影響を与えていることなのだそうです。

 「2つ目には、都市部より田舎のほうが人間関係は良好で、連帯感を持ちやすいことがあるでしょう」と言います。そして、3つ目は、人間類型に関わる要因なのだそうです。「幸福研究では今のところ、人を『追求者』と『満足者』に分けることに意義があると考え」ます。そして、「満足者」の人たちの方がより幸福だが高いのだそうです。

 「『満足者』が今の状況に満足する傾向が高いのに対し、……『追求者』が賃金やキャリア、物質的なものについてなど、生きる上で長期的な事柄について常に状況をよくしようとする」ことが幸福度に関係している、すなわち「満足者」の人たちの「完璧でない事柄にも満足しようとする」性格がポジティブな影響をもたらしているのではないかと論じているのです。

 こうした幸福学の知見に照らしてみると、研究論文では言及できないことではあるのですが、姫島村役場の方々は「満足者」の類型に当てはまる人で、幸福度が高い人たちなのではないかと想像してしまいます。

 

          竹富島・白くまシーサー・ジャンのいちファン