シニアノマドのフィールドノート

生き生きと生きている人を訪ねる旅日記です

姫島村の地域づくり(1)

 これまで姫島村ワークシェアリング政策の土台には姫島村の日常生活における分かち合いと支え合いという生活文化があったことを見てきました。ではそうした姫島村における分かち合いと支え合いの生活文化はどのようになって行くと考えられるのでしょうか。個人化的生活様式が深化・普遍化している現代社会においては、姫島村といえども消滅せざるをえない運命にあるのでしょうか。それとも姫島村においては、昔のまま何らの変化も被らず残存していくということはあり得ないとしても、何らかの形で現代社会に適合する形をとって継承されていくのでしょうか。それは社会学にとって非常に興味深いテーマであると言えます。

 そしてこのテーマは、姫島村は将来的にどのような社会建設を目指していこうとしているのかというここと深く関わっているのではないかと思います。そこで姫島村ではこれまでどのような地域づくりをしてきたのかについて見ておくことにしたいと思います。もし経済活性化第一主義、または至上主義という地域づくりを目指してきたとするならば、姫島村の生活文化の行く末には危惧される状況が生まれてきていると考えられるのですが。

 姫島社会のいくつかの特徴のうちの一つに官が地域住民の生活を支えようとする性格が強いということではないでしょうか。それはもしかしたら姫島だけでなく、離島社会一般に見られるものかも知れません。しかし、姫島にはより色濃くその性格が刻みこまれてきたのではないかと思います。すなわち、姫島村の地域づくりの歴史とは、まさしく地域住民の生活を官が支えるための体制づくりの歴史と言ってもよいのではないかと考えられます。前に紹介してきたワークシェアリング政策もそれらの地域づくりの延長上に生まれた政策ではなかったかと思います。

 例えば、離島である姫島村にとって他の地域との交流のために不可欠な海上交通であるフェリーも村営です。『姫島 その歴史と文化(増補改訂)』の著者である高橋与一さんによれば、その「村営姫島丸の就航は大正十三年一月一日」でした。現在は第一姫島丸と第二姫島丸の二隻のフェリーが就航し、国東半島の伊美と姫島を結んでいます。

 島、旅、食などについて執筆活動をされている斎藤潤さんは、姫島ではフェリーを村営としている意義について、取材当時の村長であった藤本昭夫さんへのインタビューにおける話を、季刊『しまNO.239』に紹介しています。

 「フェリーは民間運営にすれば黒字になるかもしれないが、雇用の場を確保するために今後も村で運営していくつもり」ですと。また、「島から本土へ通勤する人のフェリー代補助は、住民を減らさないための一つの手立てと考えている」のです。それらは、「島に住み続けやすいような条件づくり」のためなのです。

 そうした姿勢は、診療所の経営にも反映しています。もちろん診療所も村営です。先に参照した斎藤さんの「瀬戸内海の今を歩く」という記事にはその診療所の経営の姿に関しても紹介されています。

 その記事によれば、姫島村では中学生以下の子どもたちの医療費は完全無料化されているのです。大分「県内の自治体では初めて平成二二年から実施している」のです。同記事にはその政策の目的について、政策を導入した藤本村長さんの話も紹介されています。

 「少子化が甚だしいのでその対策として、また子どもを持っている人が少しでも暮らしやすい環境をつくるため、無料化することにしました。村営の診療所でかかった分だけではなく、島外で受診した分も村で負担しています」と。

 高齢者に対する医療体制に関しても姫島村の体制は独自のもので全国的にも注目されています。

 

          竹富島・白くまシーサー・ジャンのいちファン