シニアノマドのフィールドノート

生き生きと生きている人を訪ねる旅日記です

ワークシェアリングで姫島村の役場職員になる(1)

 姫島村ワークシェアリングの社会的性格をさらに考察するため、ワークシェアリングで役場職員となった方々へのインタビュー結果を参照してみようと思います。姫島村のフィールドワークでは長年その政策を担当されてきた中元さんの紹介で女性1名男性3名の方々にお話を聞かせていただきました。それら4名の方はいずれもワークシェアリング政策の下で村役場職員に採用された方です。

 インタビューでは、主に、村役場の職員になった経緯、インタビュー当時の担当、そしてワークシェアリング政策についての見解についてお話を聞かせていただきました。これら4名の方々は、一度は姫島村を出て他の地域で生活をしていました。その後さまざまな事情で姫島村に戻り、ワークシェアリングによって村役場に採用されていました。そしてそのことで自分たちの人生の再構築を果たしていたのです。

 これら4名のうち、女性の方は高校卒業後一度姫島村役場に勤めた経験をもっていました。その後結婚し姫島村を出て生活することになったのです。しかし結婚3年後離婚することになりシングルマザーとなってしまいました。そのときこれからどのように暮らしていけばよいかを考え迷わず姫島に戻ろうと決断したといいます。その理由を次のように話してくれました。

 「姫島には親がおり、住むところがある。また結婚するまで生活してきた経験から、姫島の暮らしではとくに食べることにお金がかからないということを知っていた。姫島には知人がいることからコミュニケーションがとりやすいと思えた。そして、肝心の仕事についても何とかなると思えた」のですと。

 さらに「決定的であったのは、楽に子育てができると思ったことであった」というのです。「姫島では子どもたちの間にいじめもなく、保育所の外でも地域の誰かが子どもの見てくれる」のだそうです。

 インタビュー当時32才であった男性の村役場職員になるまでの経緯は以下のようなものでした。

 この方は、「中学までは姫島で暮らし、国東の高校に進学したことによって姫島を離れ下宿生活をすることになった。高校卒業後は京都の大学に進学した。大学卒業後京都で公務員試験を受けたが合格しなかった。また民間会社の就職も試みたが正社員として就職することができなかった。そのため、紳士服販売の会社に契約社員として働いていた。8年間京都で生活していた」のでした。

 そして29才になったとき姫島に戻り役場職員となったのです。役場職員となったことで結婚もしています。インタビュー当時は両親と同居して暮らしていました。この方は3人兄弟の長男です。上に姉ふたりがいるのですが、いずれも姫島を出たとのことでした。この方によれば、実は大学を卒業したときに姫島に戻り役場職員になりたかったが、そのときは募集がなく願いが叶わなかったのです。

 姫島村の役場職員の給与が低いということについてはどのように思っているのでしょうか。この方は、そもそも、姫島村の雇用がワークシェアリングであるという意識はなかったといいます。しかも、姫島村役場職員の給与は低いことも分かっていたといいます。むしろ姫島村役場職員の給与はよいと感じていたというのです。なぜならば、契約社員であったときには、ひと月200~300時間働いていた上にサービス残業も多かったそうです。「そのときと比べれば姫島村職員の給与はよいと思える。その給与で家族生活を何とか回していこうと考えている。姫島なら何とかなるだろう」と思っているとのことでした。

 

          竹富島・白くまシーサー・ジャンのいちファン