シニアノマドのフィールドノート

生き生きと生きている人を訪ねる旅日記です

ワークシェアリングの島・姫島

 大分県姫島村ワークシェアリング政策を実現した村として知られています。繰り返しの言及になるのですが、社会が社会であるということは、メンバー一人ひとりの運命に他のメンバーが関心をもち、生活上の危機に直面している者が出た場合には、その人が危機を乗り越え通常の生活がおくれるよう支え合えるような文化と社会的仕組みが必要なのです。生活上の危機に直面している者がいるのに、それは自己責任だと言って放っておかれるようなことがあれば、それはその社会が社会でなくなっていっている兆候だと言えるのです。

 学生時代に明治時代の宮城県の教育関係の雑誌を読んでいたとき、次のような記事があったことが思い出されます。その記事とは、自分たちの村出身の労働者が首切りにあったとき、村の人たちが自分たちの仲間が働き続けられるよう首切りをした会社に交渉するために押し寄せたというものでした。近代の初期の時期に地域社会が現在の労働組合のような役割を仲間のために果たしていたことを学んだのでした。

 沖縄本島の北部地域には字誌という地域コミュニティ誌があります。その字誌の特徴は、その地域コミュニティに属しているすべての家族と個人との紹介が掲載されていることです。さらに進学や就職でその地域コミュニティを離れた者の動向についても掲載されているのです。沖縄県の人たちが、自分たちが所属している地域コミュニティのメンバー同士、相互にお互いの運命に関心を寄せているのかを、それらの字誌は示しているのではないでしょうか。

 同じ社会に所属しているメンバーをお互いに大切な仲間として認識し、何かあったらいつでも援助の手を差し伸べる心の構えが存在している、それが社会学の想定している人間社会であることの一つの条件なのです。そして個人化が深化している現代社会において地域社会はまだ社会が社会であることを示すことのできる可能性をもっているように感じます。事実その実感を現実化しているのが姫島村ワークシェアリング政策ではないかと思われます。

 姫島村は、大分県国東半島の北端に浮かぶ人口約2200人(2010年現在)の小さな島です。大分県唯一の一島一村の地域社会でもあります。基幹産業は沿岸漁業と車えびの養殖です。また「姫島は、古事記日本書紀に登場し、縄文時代には黒曜石が瀬戸内海を通じて人々の交易がおこなわれ」(木野村孝一『姫島の歴史~ロマンあふれる島への誘(いざな)い~』)ているという古い歴史を有している島です。「アヤ踊り」、「キツネ踊り」、「銭太鼓踊り、「猿丸太夫踊り」など島内の各地区独特の盆踊りが継承されている生活文化的にも個性とロマンがあふれている島でもあるのです。

 人口減少にいかにはどめをかけることができるのかということが長年直面してきた姫島村の大きな課題のひとつです。国勢調査の数字を見てみると、1985年に3261人あった人口が2010年には2189人まで減少しています。2019年6月1日の推計人口では1795人と2000人をはるかに下回る数にまで減少しているのです。こうした人口減少の背景には、「基幹産業である漁業の漁獲高の減少、魚価の低迷及び後継者不足」(役場資料「姫島村の概況」)などの問題がありました。

 そうした人口減少に対する施策の柱こそ、全国的にも有名となった姫島村ワークシェアリングだったのです。

 

    竹富島・白くまシーサー・ジャンのいちファン