シニアノマドのフィールドノート

生き生きと生きている人を訪ねる旅日記です

姫島村のワークシェアリング

 姫島村ワークシェアリングは人口減少対策として始まった政策です。そしてこの政策は、すでに「昭和40年代の前半に、過疎化、人口減少対策として若者を村に残すための取り組みとして始められ」(役場資料「姫島村の概況」)ていたのです。姫島村では日本の高度経済成長期という早い時期から、とくに若者たちの流出による人口減少が大きな地域課題となっていたことが分かります。

 その内容は、村役場職員の給与をなるべく低く抑えることによって、できるだけ多くの人を職員として雇用しようというものです。人件費を増やすことなく役場職員の雇用数を増加させることで姫島村における仕事づくりをしようとしたのです。フィールドワークのため最初に姫島村を訪れたのは2012年の春休みのときでした。そのときいただいた資料によれば、2011年4月1日現在、人口「2,404人に対して、役場の職員は198名で、人口12人に1人」が役場職員という割合でした。その数は同じ規模の自治体との比較で3~4倍くらいに相当するものだということでした。

 このワークシェアリング政策の影響は姫島村役場職員の方々の給与水準に現れています。地方公務員の給与水準を示すいわゆるスパイレス指数は71.4と、フィールドワーク当時全国一低い数字とのことでした。その数字は財政破綻した夕張市のそれよりも低いものでした。例をあげてみると、大学卒業後25年以上30年未満の勤続職員の給与を比較してみると、国家公務員の場合418,300円ですが、姫島村の職員の場合は276,100円でした。ワークシェアリング政策を実現できた裏には役場職員の方々に全国一低い給与水準を受け入れてもらわなければならなかったのです。

 さらに、当時より「多くの人を雇用する手段として、主に主婦を対象に、月三分の二の勤務日数で、給与も三分の二とする雇用形態」(役場資料)も採用されていました。そして、その形態で雇用された職員数は、フェリー関係2名、診療所2名、高齢者生活福祉センター8名、そして教育委員会1名の計13名になっていました。

 以上が姫島村ワークシェアリング政策の簡単な概略です。役場職員の給与を削減し、それによって生まれる資金により雇用の場をつくりだし、減少がつづいている人口を何とか維持しようという施策をとった自治体は、実は姫島村だけではありません。人口減少によって消滅しかねない危機からの生き残り戦略としてそうした施策を採用した事例としては、島根県海士町が全国的に有名です。町長としてその戦略を実行した山内道雄さんは、そうした海士町の地域づくりを『離島発生き残るための10の戦略』として出版しています。

 海士町もスパイレス指数が日本一低くなったことがあります。2005年のことでした。上述の本には、町職員の「禁断の給与カットは‶未来への投資″」であるとされ、町長50%、助役、議員、教育委員40%、職員16~30%とのカットとなったことが記されています。その結果、「海士町のスパイレス指数……72.4になり」、「海士町は『日本一給料の安い自治体』になったのです」。

 こうして削減したお金を海士町の場合はどのように使用したのでしょうか。山内さんはその使い道を次のように紹介していました。「私は、給与カットで浮いたお金は‶未来への投資″に使う、と宣言しました。島が存続していくための基本となる人口問題、すなわち島に人を増やす施策のために使うことを約束したのです」。具体的には結婚祝い金、子育て支援、そしてIUターンする人たちへの経済的支援のために使われたのです。海士町ではさらにさらに島の新たな産業創出に投資をしていったのです。

 姫島村ワークシェアリングの施策は、一見するとこの海士町の施策と同じように思えるかもしれません。確かに人口減少問題への対処ということでは共通しているのですが、大きく異なっているところもあるのです。

 

     竹富島・白くまシーサー・ジャンのいちファン