シニアノマドのフィールドノート

生き生きと生きている人を訪ねる旅日記です

姫島村の政治構造とワークシェアリング

 姫島村ワークシェアリング政策に関するもう一つの興味深い中元さんの話は、ワークシェアリングによる役場職員雇用の対象は姫島村出身者だけに限られているというものでした。ワークシェアリング政策が全国的にも有名になりテレビなどでも紹介されたこともあって移住希望の問い合わせもよくあったのだそうです。それは、普通、過疎地にとって人口を維持する上で願ってもないチャンスのはずです。しかし姫島では、ワークシェアリングへの応募ではない移住希望であっても基本的には受け入れを断っているとの話だったのです。

 役場職員の給与を削減してつくったお金で都会からの移住者に経済的支援をすることで人口の維持と経済の活性化を狙った海士町とは、姫島のワークシェアリングはむしろ移住者を受け入れないという点で決定的に異なる性格をもつものだったのです。姫島村の場合には、人口を維持したいという点では海士町と共通するものがありましたが、海士町がとった新産業の創造による経済の活性化優先という戦略とは違って、先に紹介した姫島村の生活文化を守るということを優先したのではないでしょうか。

 ではそうした姫島村ワークシェアリング政策の性格をどのように理解したらよいのでしょうか。社会学の目から見るとどうしてもその点に関心が向きます。

 このことを考察するために、ワークシェアリング政策を実現したと思われる姫島村の政治上の条件について触れておきたいと思います。姫島村では、1960年以来、藤本熊雄・昭夫さん親子が2代50年以上にわたって村長に就いてきました。その背景には、島を2分するような激しい村長選挙により小さな島社会に大きなしこりを残してしまったという過去の村長選挙の反省があるのだそうです。そのため50年以上長期に無投票がつづいてきていたのです。

 このように、姫島村は、一つの有力家系が村長という村のトップの役職を約半世紀以上の長きに亘って独占してきた村です。さらに国の政権政党の有力者の影響力が強かった村でもあったのです。中元さんの話によれば村役場には職員の労働組合もないということでした。

 また姫島村は、1949年の初当選以来衆議院議員に11回当選し、自民党副総裁にまでになった西村英一さんを生んだ島でもあります。そして、西村さんの影響力の強かった島でもあります。

 姫島村は、以上のように政治的に見ると安定的な状況が長くつづいてきている地域社会ではないかと言えます。そしてそのことが姫島村ワークシェアリング政策が実現し、長く維持されてきた政治的な条件ではなかったかと思います。なぜならば政治的対立が激しく、不安定な政治的状況の下では、一方の陣営によって提案される政策が、実現し日の目を見るときまでに対立と闘争が生まれるだけでなく、仮に実現しても、対立する陣営が政権をとったときに廃棄されるということはよくあることだからです。

 選挙のたびに首長がたびたび交代する自治体の場合、しかも政治的な対立が色濃く現れているような場合にとくに、ひとつの政策が長期にわたって実施されていく可能性は限りなく小さくなるように思われるのです。どうしたら安定した地域づくりを進めていくことができるのか、そのことは現代社会における地域づくりにおける大きな、そして大事な課題となっているのです。

 しかし、一方で、姫島村のような政治構造は、小さな地域社会における有力家による専制的で、非民主的な政治構造という社会からの受け取り方がされるものでもあります。中元さんの話でも、事実そうした批判的な見方もあったということでした。

 話はそれますが、推理小説家の内田康夫さんの作品の中に、姫島村を舞台とした殺人事件を扱った作品があります。『姫島(ひめしま)殺人事件』です。それは、もちろんフィクションなのですが、姫島村の有力家である「本庄屋」の「惣領」である放蕩息子が殺されるという設定となっているのです。そして内田さんは、その被害者である本庄屋の惣領息子と島の人たちとの殺人事件をめぐる関係性を次のように叙述していました。

 「島の人々に犯行動機を持つ人は多いけれど、実行となるとまずありえないという。それは、島の歴史そのものといえる本庄屋さんに対する、一種のおそれがあるためだそうです」と。

 繰り返しになりますが内田さんの作品はあくまでフィクションです。しかし、同時に、小さな地域社会における有力家とその他の地域住民との関係性の一般的な見方を表現してもいるのではないでしょうか。内田さん以外の推理小説作品では、そうした社会的関係性の中で起こる事件をテーマとした作品がしばしば見うけられるのではないでしょうか。

 一見するとそうした社会的関係性と政治構造と見られかねない姫島村の政治的状況におけるワークシェアリング政策の社会的性格についてさらに考察する必要があるのかもしれません。

 

     竹富島・白くまシーサー・ジャンのいちファン