シニアノマドのフィールドノート

生き生きと生きている人を訪ねる旅日記です

イタリアの小さな村の物語

 個人化の進む現代社会の中で生き生きと生きている人との出会いを求めての旅のフィールドノートは、必ずしも実際に現地を訪れ、自分の目で見て、自分の耳で話を聞くことによって綴られるだけではありません。どのような社会を訪れたいのかを探るために、雑誌や文献、新聞の記事やテレビ映像などを参照し、気になることがあったらそれを記録しておくということによって綴られていくということもあります。

 そうしたフィールドノートの記録のひとつに「イタリアの小さな村の物語」というテレビ番組の記述があります。この番組を社会学者の目で見ていると、現代社会における血縁・地縁という社会関係の社会的性格を考察するために非常に参考になるのです。できれば、いつか、是非訪問してみたいという気持ちになります。残念ながらまだそれは実現してはいませんが。

 イタリアの小さな村の物語は、BS日テレで毎週土曜日の午後6時に放送されているテレビ番組です。すでに300回を超え、現在も続いています。内容はイタリア各地の小さな田舎の村を訪問し、そこでの人々の日常生活を紹介するというものです。

 その中で数人の主人公に焦点を当て、それらの主人公の人生史と生活の現況が、地域社会との関わりにおいて取り上げられているのです。その手法は、研究対象となる地域社会を訪問し、主として地域社会の住民の方々にそれらの方々の生活史・人生史をインタビューさせていただくことで、地域社会の変動や在り方をとらえようとしてきた私たちの研究法と共通するものを感じてきました。その意味で、この番組は社会学者という視点からも大変興味ある番組なのです。

 その番組ではイタリア各地の小さな村と村の中での人々の生活の様子が取り上げられ、紹介されるのですが、その内容には共通の主題が貫かれています。それは、家族と地域社会における人々の関りと交流の在り方について丁寧に描き、それらの大切さを紹介しようとするものです。そのために取り上げられる題材も共通しています。すなわち、この番組では、仕事と食、そして日常生活に楽しい彩を添えるスポーツ・娯楽・文化活動における人々の交流の様子が描かれます。

 小さな村の物語の主人公の歩んできた人生と現在の仕事とその家族が紹介されるのですが、必ず昼食風景が映し出されます。小さな村の地域生活に関しては、バールや村の通りにおける人々の交流の姿が紹介されます。そこでは人々が集まり、何気ないオシャベリやトランプゲームなどを通して交流する様子が紹介されるのです。そうした家族および地域生活の姿を見ていると、イタリアの小さな村の人々が日常生活の中で家族および顔見知りの人たちの間での何気ないふれ合いや交流をとても大切にしていることが分かります。それによって、知らず知らずの間に、人々の関係において強い親密・信頼感が作り出されるのではないかと思います。

 小さな村の物語で取り上げられる主人公たちの仕事にも興味が惹かれます。農業、地方色のある工芸作家、宿泊・レストラン・バール経営、やおや・ぱんや・よろず雑貨やの経営、服の仕立てや・自動車修理・大工・理容師、そして教師などが取り上げられる主なものです。それらの仕事は、まさしく地域の文化を継承・創造し、人々の日常生活を支え、社会的交際の場を提供することに貢献している仕事と言えるのではないでしょうか。

 そうした生活を当該の地域の人々はどのように感じているのでしょうか。番組で見ている限りのことですが、イタリアにおいても地域間格差問題があるにしても、どんな僻遠の小さな村でも、子どもたちや若者たちの姿が存在しているということに興味が惹かれます。日本では子ども・若者たちの姿が見られない地域社会が何と多いことでしょうか。なぜイタリアでは、日本では全く姿を消してしまったであろうと考えられるような僻遠の地においても、地域社会が存続し得るくらいには子ども・若者たちが残っているのでしょうか。

 ある回の番組のとき、僻遠の小さな村に残って生活している若者に焦点が当てられたことがありました。その若者はそうした村での生活を次のように表現していました。家族や地域の親しい人たちと共に生活できていることが好きなのですと。そしてそうした生活をシンプルライフと呼び、シンプルライフに喜び、楽しさ、そして幸福を感じるのですと話していました。

 番組の中の若者のそうした生活実感を耳にしたとき、今般イタリアで新型コロナウイルスが蔓延しているという出来事を想起してしまいました。ここまで紹介してきたイタリアの社会生活に関する文化が、イタリアにおける新型コロナウイルスの蔓延と無関係ではないように思えるのです。

 今般の新型コロナウイルス問題に関して言えば、それぞれの国における蔓延の大きさとスピード、そして死者数の大きさは、とりわけその当初の時期には、発生源となった中国との人的行き来の大きさ、経済的格差構造、医療体制の在り方と充実度、政府の政策とそれへの国民の従順度、偶然性、そして新型コロナウイルスの感染形態との関係における社会生活の環境・文化・習慣他などの諸因子の掛け算によって規定されているように思えます。

 イタリアに関して言えることは、親しい人とともに片寄せ合い、おしゃべりと食事をともにすることを楽しみながら暮らすという生活文化が、新型コロナウイルス問題に限っては、蔓延を助長することになってしまったのではないでしょうか。例えば、イタリア政府が挨拶としてのハグやキスの禁止という政策を出したとき、一般市民は、テレビニュースのインタビューで、「それには従わない」、「大切な人と挨拶できないなら死んだほうがましだ」というように応じていました。また、刑務所における家族の面接を禁止するという政策では、暴動が起きています。

 そうした光景は、日本人から見ればイタリアの人たちは理性のないとんでもない人たちのように思える光景かもしれませんが、それがどんな僻遠の小さな村も長年にわたって存続させてきたイタリアの文化なのだなと感じてしまうのです。

 

          竹富島・白くまシーサー・ジャンのいちファン