シニアノマドのフィールドノート

生き生きと生きている人を訪ねる旅日記です

よりよく生きたいという思いや意欲の高まりが社会を変える(4)

 よりよく生きたいという思いや意欲の高まりが社会を動かし、変えていく原動力となるのではないかという視点で見ると、これまで取り上げてきたエンゲルスさん、ロバート・オウェンさん、そして宮沢さんの主張や試みはどのように位置づけることができるでしょうか。

 エンゲルさんのそれは、既成の政治支配体制の変革論、ロバート・オウェンさんのそれは、博愛と愛にもとづく社会の改良論、そして宮沢さんのそれは、芸術論的人生論および「自分たちの手で創る」共に生きる生活世界論と性格づけすることができるのではないかと思います。

 私たちが生きている現代社会も、また、支配と抑圧、選別・格差・差別と社会的排除という社会構造が、それまでの時代とは異なった形で覆っている社会となっているのではないでしょうか。そして、その中で生活し、暮らしている多くの人たちが生きづらさを抱えなければならない状況となっているのではないでしょうか。

 そうした社会の社会構造を少しでも動かし、変えていくには、社会学的目でみると、エンゲルスさん、ロバート・オウェンさん、そして宮沢さんの主張と試みはお互いに相互排除的ではなく、相互支持的に統合されることが必要なのではないかと考えます。実は宮沢さんは何とかその統合を図りたいと模索し、苦闘していたと感じるのです。

 そして、その模索と苦闘の結晶こそ、芸術論的人生論および西田さんが言う「オールスターキャスト」の社会づくり論だったのではないかと思います。そこで、ここでは以前紹介した考察と重なるのですが、あらためてその内容について、西田さんの議論に依拠して確認しておきたいと思います。

 西田さんは、宮沢さんの「マリヴロンと少女」という作品の読み方を紹介する中で、作品に出てくる「世界で名高い声楽家」が「だれからも振り向かれないと」嘆く「貧しい少女」に対して諭す次のようなことばを紹介しています。それは、

 「正しく清くはたらくひとはひとつの大きな芸術を時間のうしろにつくるのです。ごらんなさい。向こうの青いそらのなかを一羽の鵠がとんで行きます。鳥はうしろにみなそのあとをもつのです。みんなはそれを見ないでしようが、わたくしはそれを見るのです。おなじようにわたくしどもはみなそのあとにひとつの世界をつくって来ます。それがあらゆる人々のいちばん高い芸術です」というものです。

 すなわち、この作品を書いた宮沢さんによれば、人という存在は、とくに自分自身の人生に関しては、その人の個性と創造性を結晶化させた道を歩む芸術家であり、すべての人、ひとり一人が天才なのです。ただ多くの人たちがそのことに気づいていないだけなのです。

 しかもより宮沢さんにとって重要な問題だったのは、だからこそ、天才的存在としての個々人が一緒になると、お互いの個性と創造性を根拠に互いにぶつかり合い、競い合い、争う関係性に容易に陥ってしまうことだったのです。

 どうしたらお互いの個性と創造性を基礎にお互いに補い合い、協力し、共に、一人だけでは実現することのできない高みを見ることのできる生活世界とその生活世界によって生まれる社会を創り出すことができるのか、それが宮沢さんの課題だったのです。すなわち、宮沢さんは、自身の作品「業の花びら」の中で、「ああ誰か来てわたくしに云へ/億の巨匠が並んで生れ/しかも互ひに相犯さない/明るい世界はかならず来ると」いうことを望んだのです。

 そしてこの課題に応えようとして生まれた作品こそ、「ポラーノの広場」であったのではないでしょうか。自分たちがもっているそれぞれの技術と特性を活かして自分たちの手で自分たちの生活を実現する。さらに、その生活の中に共に楽しみ、喜びを共有し、お互いに元気づけ合うことのできる生活空間をやはり自分たちの手で創造する。

そうした世界は、音楽活動として見た場合は、オーケストラによる演奏活動の世界のようです。個々の楽器活動だけでは得られない、異なった楽器演奏奏者たちが協同することはじめて創造することのできる音楽世界を宮沢さんはイメージしたのではないでしょうか。

 一般的には、オーケストラによる演奏活動には、その効果を最大限に高めるのには、個々の楽器の演奏を協調させていく役割を担う、ある意味指導的な指揮者の存在が不可欠と考えられるのかもしれません。

 しかし、宮沢さんは、あえてそうではなく、すなわち優秀な指揮者によってではなく、ファゼーロさんたちの仲間同士による自分たち自身の手による協調性の創造を大切なものと位置づけようとしていたと感じます。

 その作品の中で宮沢さん自身はあくまでそうしたファゼーロさんたちの試みを見守り、求められれば相談に応じるなど惜しみなく協力する、応援団の役割に徹しようとしていたのではないでしょうか。

 なぜならば、宮沢さんがいう「明るい世界」は、誰かによって命令され、指導されることによって生まれるのではなく、天才同士が自分たちの手によって創造し、運営していかなければならないと考えたからからだと考えます。

 いや、さらに言えば、自分たちの手によってしか、「明るい世界」は実現しえないと宮沢さんは言いたかったのではないでしょうか。

 

                  竹富島・白くまシーサー・ジャンのいちファン