シニアノマドのフィールドノート

生き生きと生きている人を訪ねる旅日記です

宮沢賢治さんと三澤勝衛さん(5)

 三澤さんのフィールドワークは、よい成績をあげている農家だけを対象とするものではありませんでした。よい成績をあげることができず、大きな困難を抱えている農家をも訪ね、なぜうまくいかないかその要因を農家の人とともに探究するようなフィールドワークも実行しているのです。

 例えば、「毛賀(けが)〔現・飯田市〕」の「十数戸からなる部落」を訪れています。この地域コミュニティは、三澤さんの見立てによれば天竜川の支流の谷にある集落で、蚕に関しては「いかにも飼育困難な部落」なのです。しかし条件の悪いその所でも「蚕が一度もちがったことがないという」よい成績をあげている農家があるのです。

 三澤さんは、ここではその農家ではなく、それまでよい成果をあげることができないでいたが「非常に熱心な飼育家」の家を訪ね、話を「訊いて」います。その家では、「よい成績をあげたいものだとの一念」から、良い成績をあげている親戚筋の農家の飼育法を学びその家と全く同じ飼育法を実行していたのです。

 三澤さんいわく、訪ねた家の人は、「一夏、まったくその家で飼うとおりにやった。すなわちその家が障子を締めれば、障子を、戸を建てれば戸をといったふうに自分の家でもそれをやった。ところが皮肉にもその年はいちばん成績が悪かったと語られた」のですと。

 ではよい成績を上げている農家と全く同じ飼い方をしているのに、飼育がうまくいかない農家はなぜ失敗してしまったのでしょう。三澤さんは飼い方ではなく、それらの農家の飼育環境に着目します。三澤さんによれば、蚕は、「その家のいちばん涼しい、人が入ってみても気持ちがよい、一時間でも長くそこにいたいと思うような室を選んで飼わなくてはいけな」かったのです。

 すなわち、そうした「蚕そのものの本質・要求を、それにその地方の風向き、風力などの事情を十分究めた上で」飼わなくてはならなかったのです。この点で、よい成績をあげている農家の飼育環境を観察してみると、よい成績をあげている農家は天竜川の「谷の出口近く、すでに天竜の本筋に当たったところで、しかもその本筋へ直面して屋敷をもっている。すなわち、風当たりのとくに強い、それこそ一日中風が吹き通っている」環境だったのです。

 それに対し、よい成績をあげている農家の飼育法をまねし、失敗してしまった農家の飼育環境はと言えば、「風通しのほうで十分の涼味を取り込むことができない」環境に立地していたのです。三澤さんは言います。

 「要するに模倣ではいけない。そこで各自各家ごとに(その家の風土に応じた)特別な工夫が必要」〔( )の中は引用者によるものです。〕なのですと。さらに、その農家では、「一日のうち、とくに暑くしのぎにくいのが、午後二~三時頃であるから、ちょうどその時刻頃にその屋敷が、日影になるような場所、たとえば、西のほうに山地があり、太陽がそこへ入ってしまうようなところなら、まずよほど飼育しやすいわけで」すとの解決策についても示すのです。

 ここで参照してきた三澤さんのフィールドワークの例は、三澤さんの講演の中で自身が聴衆の人たちに紹介していたものです。これらの簡単な紹介例からも分かるように、三澤さんのフィールドワークは、もっぱら風土および農家の人たちの実際の農作業を観察するとともに、話を「訊き」、そして農家の人たちとともに改善の方向性を発見しようとするものだったのです。しかも、それは、よい成果をあげている農家の人だけでなく、思うような成果をあげることができず、困っている農家の人の話をよく「訊き」、学ぼうとしていたのです。

 

                  竹富島・白くまシーサー・ジャンのいちファン