シニアノマドのフィールドノート

生き生きと生きている人を訪ねる旅日記です

宮沢賢治さんと三澤勝衛さん(4)

 ここでは三澤さんが、当時の冷害・凶作・飢饉・経済恐慌などへどのように立ち向かおうとしていたかについて確認していこうと思います。三澤さんは、当時の国策による「匡救」策である自力更生運動を念頭に、「自力更生より自然力更生へ」という向き合い方を主張しています。

 そしてその主張の柱となっている考え方が、「自然という自然に悪いものは一つもない」という考え方です。三澤さんは言います、

 「なにも、雨も、雪も、寒さも、さては、山も河も、自然という自然に悪いものは一つもないはずであります。善悪はただ人間界だけの問題であります。『溺れた水は、また一面浮かばせる水でもあった』はずでございます。/この立場からは一本一石も私どもは粗末にしてはならないと考えるのでございます」と。

 問題は自然のもっている力を生かせるかどうかなのです。三澤さんは言います。「風も雪も、生かし方しだい」であり、そこから生まれる産物は、自然の「賜物」なのですと。

 では自然の生かし方とはどのようなものなのでしょうか。それは、三澤さんによれば、ミクロレベルで言えば一枚一枚の耕地から始まり、一戸一戸の、地域地域の、そして地方地方の風土を発見し、その風土に適った作物を生産するということなのです。

 そうした考え方を基礎として、三澤さんは、当時の冷害・凶作・飢饉・経済恐慌へ立ち向かうための農家への向き合ったのです。そしてその向き合い方は、宮沢さんのそれとは大きく異なるものでした。宮沢さんの場合は、農家一戸一戸の農家の耕地における土壌の特質を調べた上で、科学的知見を基礎としてその土壌の改良と増産のための処方箋を作成し、農民に授けるという向き合い方でした。しかし、三澤さんの場合は、一枚一枚の耕地の風土とそれに適応する作物を発見するために、観察と対話を通して一戸一戸の農家から学ぶという向き合い方だったのです。三澤さんは言います、

 「しからばそこの風土をどうやって知るかという問題が当然台頭してくる。そしてそれには、その風土の表現体であるところの、……そこの植生、あるいは動物、土壌、われわれ人類の生活といったふうなものを深く細かく調査研究して、そこから発見するということが、当然である」と。

 そしてその調査研究の方法の基本は、自然を観察し、自然に「訊く」というものなのです。三澤さんは、ある講演で、そのことを、「防災・土木工事」の際の心得として次のように説いています。すなわち、「いやしくも川の工事をしようとするものは、まずそれをそこの川に訊(き)き、山の工事をしようとするためにはこの山に訊いて、その言葉に従ってするということが、いわゆる成功の捷路(はやみち)でありま」すと。

 農業に関する調査研究も同じです。三澤さんは言います、「要は土地利用ということは、一方はそこの土地に訊き、一方はその作物なり家畜に訊いて、その両者のもっともよく調和する、言い換えれば、もっともそこの、その自然に近い形におく」ことが大切なのですと。

 そのため三澤さんが土地利用についてのフィールドワークで最も重視したことは、個々の農家の人が、どのような風土の土地に、どのような作物をどのように栽培し、どのような家畜をどのように飼っているかを「訊く」ことだったのです。そのフィールドワークの一端を、養蚕地域の「天竜川の西岸」の「朝日村〔現・辰野町〕」の「平出(ひらいで)という部落」におけるフィールドワークに見てみたいと思います。それは三澤さん自身が講演の中で紹介したものです。

 三澤さんは、まずそのコミュニティの中で成績が振るわない地区の中で豊作の農家を訪ね「訊く」フィールドワークを行います。その地区の人たちは、その農家だけ豊作なのは、その農家は「飼育が上手」だからと考えていたのです。三澤さんはそうした理由づけだけですませるのではなく、「このとくに一軒だけが年々豊作だ、変だ、不思議だという、じつはそういったところに真理への門戸が開かれている」という姿勢で「観察」と「訊く」というフィールドワークを行うのです。

 その結果、三澤さんは、その農家では、普段出入り口として利用している部分を丸太の格子で塞ぎ、一家一室の空間のその入り口のある表部分だけで蚕を飼育していることに注目します。そしてそれが、その地域コミュニティの中では風道を活用する最善の策であることに気づくのです。

 三澤さんは言います。この農家では、養蚕の時期、「要するに表側はどこからもこの家へは出入りできないようになっているのである。しかし、家の中を見て初めてそれが氷解できた。家の中は、各室境(ざかい)の建具という建具はすっかり取り払われ、相当広い、しかも、正方形に近い家が一家一室になっており、蚕は平(ひら)飼いで、その室に放し飼いにしてあるので」す。しかも、表側半分の所にだけなのです。

 要するに養蚕には風通しのよいということがその成績を左右する最も大切な要因であることを考えると、この家として「風通しのよい、すなわち最善の工夫としては、これ以上にはない」工夫をしていたことを発見したのです。

 さらに、三澤さんは、「飼育の中心責任者であるこの家の主婦の方」の話にも耳を傾けています。その方の話によれば、「ほかでもないが、とにかく夏秋蚕は、風通しのよいところを選んで飼わなくてはいけない。この家はなんといってもそれでも表側のほうへ寄れば寄るほど風通しがよいとみえ、蚕が自然とその表側のほうへ集まってしまう。今、現にここで見てもわかるように、表側のほうに余分に蚕が密集している。最初からこんなに不同に放しておいたのではない云々」というのです。すなわち、三澤さんは主婦の方の話に耳を傾けることで、この農家の最善の工夫とは、蚕自身の動きを尊重していたことだということにも気づいたのです。

 実践的農法改善のためのフィールドワークとはどうあらなければならないか、ここまでの三澤さんのフィールドワークに関するエピソードだけからも大いに学ぶものがあると感じるのです。

 

                  竹富島・白くまシーサー・ジャンのいちファン