シニアノマドのフィールドノート

生き生きと生きている人を訪ねる旅日記です

地域で共に生きるという福祉

 家族の発展サイクルの中で子どもの世代がすべて地域の外に出てしまい親世代だけが地域に残って暮らしているということはよくあることです。そのことを自治体関係者の方々はどのように見ているのでしょうか。地域づくりでは全国的にも有名なある自治体の方は次のように言っていました。

 「外に出ていった子どもたちは住民税をよその自治体に収めていながら親の面倒を自分たちの自治体に任せっきりにしている。面倒をみるにはお金がかかる。子どもが親を引き取ってもらいたいものだ。そうすればそのためのお金をもっと経済開発のために使えるのに」と。

 高齢化が進行している過疎地ではとりわけ、それでなくても少ない財政の中で高齢世帯を支えるためにより多くの割合の予算が必要となれば、それだけ経済的な活性化のための予算は減ってしまいます。それで、その時はなるほどそのような考え方もあるのかと思いながら話を聞いていました。

 ところが昭和村では全く違っていました。例年昭和村でのフィールドワークでは、フェリーか飛行機で仙台まで行き、レンタカーで昭和村に入るというルートでした。ただ2017年はフィールドワークの授業の履修者が多かったため、仙台から高速バスを利用しました。ただ高速バスは会津若松までしか行きません。そのため昭和村までのルートは、苧麻倶楽部の和泉さんと保健福祉課の職員の方に迎えに来ていただいていたのです。私は数名の学生とともに保健福祉課の方の車で昭和村に向かいました。その車上の中で出た話題の一つがいわゆる「呼び寄せ」問題でした。

 昭和村でも、村外に出た子どもから呼び寄せられ、子ども家族と同居するため村を出てゆかざるをえない高齢者が増えているのだそうです。そうした場合の村の対応は、親世代の高齢者を地域で面倒をみるから村での生活を続けさせてほしいと、呼び寄せようとする子どもたちにお願いするというものだそうです。それでもそうしたお願いに応じてくれる方は少ないということでした。高齢になった親の生活を心配する子どもの気持ちが強いのでしょう。迎えに来てくださった職員の方は、そのような場合、子ども以外知り合いのない慣れない土地での生活で孤立し、寂しい思いをしてはいないか、村では毎日していた畑仕事などの自分がやることがなくなり生活の張り合いを無くしているのではないか等々、呼び寄せられた高齢者のことが心配になるのだと話してくれたのです。

 このときフィールドワークに参加した学生のひとりは、そうした昭和村の高齢者福祉の在り方に興味をもち、子どもが村の人たちの説得に応じて認知症の親が昭和村で暮らし続けることを認める選択をした事例を考察しています。その事例は、「チヨ子さん」と呼ばれているひとり暮らしをしている認知症の87歳の女性です。保健福祉課での聞き取りやそこでいただいた高齢者福祉に関する資料をもとに、その学生は報告書でその事例を次のように考察していました。

 この事例の女性には村外に住む息子がいます。「チヨ子さんは物忘れがひどくなり、同じ物を1日に何度も買い、昨日自宅を訪ねてきた友人に『最近来ないな』と電話をかけるなどしていた」。「息子はチヨ子さんに今までと変わらない生活を歩んでほしいとして、近所の人に見守りを頼んだ。近所の人たちはそれを快諾し、地域単位での見守りがおこなわれた」。「息子は呼び寄せ同居をしない代わりに、頻繁にチヨ子さんのもとを訪れている」。

 村に残ったチヨ子さんの日常生活は、昼食後の1時間の昼寝が日課となっている。「その後、同じ地区に住む高齢夫婦二人暮らしのお宅に向かいます。この夫婦は、ともに歩行が不自由であまり外出できず、近所の友だちがお茶飲みに来るのを歓迎しています」。

 この事例を学生は次のように考察しました。

 「チヨ子さんは近所の人たちから支えられながら、自分自身もケアする側の役割を担っている。自身もケアの資源になることで、地域社会の構成員としての役割を果たし、地域と強い結びつきが生まれるのである。その結果として、チヨ子さん親子は親子関係の良好な連携という点でも、地域によるサポートの恩恵を受けることができたのである」と。

 

     竹富島・白くまシーサー・ジャンのいちファン