シニアノマドのフィールドノート

生き生きと生きている人を訪ねる旅日記です

究極のおもてなし

 昭和村には日常的に人を招いてお茶を飲みながら楽しいひとときをともにするというおもてなしの生活文化が根づいています。その文化のおかげもあって今でも(社会学者の中には、現代社会を生きるということは、「地域の共同性空洞化社会」、すなわちちょっとしたことで人間関係がゼロとなる社会を生きているということを覚悟する必要があると警鐘をならす方もいます)、昭和村では、人々の社会的なつながりを確かなものにしているように思えます。昭和村は「孤独死」などとは無縁の社会と言ってもよいのではないでしょうか。

 しかし、そうした顔見知りの人々の間での濃密な、社会学では親密性と呼ぶ関係性は、往々にして見知らぬ人や外部の人に対しては閉鎖的・排他的・排除的性格をもつと言われてきました。しかし、フィールドワークを通して感じた限りではあるのですが、昭和村では、そうした閉鎖性・排他性・排除性を全く感じることはありませんでした。昭和村のおもてなしの精神は外部の人にも開かれているものだったのです。

 私たちは学生とともに昭和村でフィールドワークをするときには、集落の集会所などを寝泊まりの場としてきました。私たちがなによりも驚いたことは、私たちのフィールドワークの期間中、集落の複数の方々がずっと私たちにはりついてくれて相手をしていただいたことです。他の地域では話を聞きたい方に会ってもらうことが大変なのです。都会での調査では門前払いが当たり前でした。多くの役職をもち、非常に忙しい方々がずっと寄り添って私たちの相手をしていただけたということはそれまで決して経験することのなかった出来事でした。その方々はなんと精神的にゆとりのある生活をおくっているのだと感じたものです。

 私たちのフィールドワークに寄り添ってくださった方々とは、日々の昼食や夕食もともにしました。その際、お茶の時間もそうでしたが、その方々の自宅で作ったものを差し入れていただくのが常のことでした。学生たちは、村の方へのインタビューに行ったときにも同じ経験をしていたようです。ある一人暮らしの高齢女性のお宅に、一人暮らしの様子の話を聞きにいったときのことをひとりの学生が次のように報告書に紹介していました。

 そのお宅には「大人数で家まで行ってしまったのに、家にあるものを出してくれて『食べろ~』と言っていただいたり、『もっと早く来ることを知っていたら、おもてなしできたのに』などと言っていただいたり、とても暖かい気持ちに」なりましたと。

 こうした昭和村におけるおもてなしの中で、私たちが受けた究極のおもてなしは、集落の方々をはじめ、さまざまな立場の村の方々が参加して開いてくれた、宿泊最終日の懇親の会でした。この懇親会に関しては、ほかの記事ですでに紹介させていただきましたが、地域の方々は、懇親会にかかる費用を参加費として支払って参加してくださっていたのです。お酒や手打ちのそばや料理などの差し入れもありました。

 さらに、なんと言っても私たちにとって有難いことと感じたのは、学生たちの発表に熱心に耳を傾けていただいたことです。この発表を通して、学生たちは村の人たちから大いに元気づけられたのです。そのことは私たちにとって究極のおもてなしでした。学生たちはそのことを報告書で次のように記しています。

 「村の方々と前で村のことを発表することに緊張を感じながら班ごとの発表を行った」。「発表を済ませると……内心、出過ぎたことを言ってしまったような気がしていた……。席に戻ると、皆さんが褒めてくださった。少し報われたような気がした」。「私が織姫体験よりもラフな、からむし織のワークショップをやってみたらどうかという発表をした。席にもどるとこれまで来た大学さんの中で一番の発表だと褒めてくださった」と。

 

     竹富島・白くまシーサー・ジャンのいちファン