シニアノマドのフィールドノート

生き生きと生きている人を訪ねる旅日記です

マンゴー農園設立物語(2)

 小村さんはマンゴー農園の購入資金問題の壁をどのように乗り越えていったのでしょうか。それはマンゴー栽培の実績をつくるために借地し、小作をするという道でした。幸いなことに所有者の方にそのことを理解してもらい、マンゴー農園を借りることができたのです。

 しかし、小村さんに再び試練が立ちはだかります。マンゴー栽培一年目の収穫直後、台風13号が小村さんご夫婦のマンゴー農園を襲ったのです。2006年のことでした。「石垣島人情物語」にそのとき小村さんご夫婦にどのようなことが起きたのかについて次のように紹介されています。

 「ハウスは全滅、木は全滅・・・・・・何とかハウスを立て直したいと、公庫に融資の相談に行っても『借りものの土地を担保にお金を貸すわけにはいかない!』という非情な結論。悔し涙が出そうだった」のですと。

 そのとき、ある意味で奇跡が起きたのです。それは、マンゴー農園の所有者からの申し出でした。なんと農園の所有名義を小村さんの名義に書き換えてはどうかというのです。そうすれば融資を受けることができるだろうと言ってくれたのです。再度「石垣島人情物語」の記述を参照させていただくと、そのときの小村さんの気持ちはただひたすら「感謝」の念でしかなかったのでした。

 「涙が出た。無類のナイチャー嫌いだったはずの地主さんなのに・・・・・・。ふたりはこの島の人たちの、馬鹿馬鹿しいほどの温かさにひたすら感謝するばかりだった」のです。

 ただ所有名義を書き換えただけで簡単に融資を受けられた訳ではありません。その後、幾多のハードルを乗り越えなければならなかったといいます。そうしたハードルを一つひとつ越えながらやっと融資を受けることができたのは、台風の被害を被ってから9か月後のことでした。小村さんが一級建築士であったこともあり、小村さんご夫婦は自分たちの力でハウスを再建したのです。

 しかし、その後順風満帆にことが運んだという訳にはいきませんでした。さらにあらたな難題が小村さんご夫婦を襲うことになったのです。エビの殻の肥料をやったり、「毎日ピンセットで1000匹以上の毛虫を取ったり」(「石垣島人情物語」)、愛情を込めた努力の甲斐があってマンゴー栽培に関しては成果をあげることができるようになっていきました。ただ農園の所有名義の書き換え後3年たってもその購入資金を用意することができなかったのです。3年で実績をつくり、購入代金を支払う約束になっていたのですが。

 「結局台風の被害による修理のためにお金を費やしてしまったため、地主さんに支払う購入費用の用立てができなくなっていたのだ。再び銀行まわりをしたり、あらゆる手段を講じてみたが、八方塞がりの状態だった。いよいよどうしよもなくなって、もはや農園を手放すしかなく」(「石垣島人情物語」)なってしまったのです。

 そして、このときも、ある意味で奇跡が起きました。それは、借金の保証人を依頼しようとしていた方の中で、小村さんのためにその方が借入してくれることになったのです。「石垣島人情物語」の表現を借りれば、「『借金の保証人になるくらいなら、私がそのお金を借りてあげる』といって、小村さん夫婦のために借入を起こしてくれた恩人が現れた」のです。

 小村さんは言います。「『人と人との縁は、お金では買えないのです』」、「本当にいろいろな人に助けられて、今日の」自分たちとマンゴー農園があるのですと。

 その後、小村さんご夫婦は着実にマンゴー栽培の実績を積み重ねてきていると言えるのではないでしょうか。2018年3月の八重山毎日新聞記事に、小村さんご夫婦が沖縄県が認定する「エコフャーマー」に前年度に引き続き認定されたという記事を見ることができました。県が認定する「エコフャーマー」とは、沖縄県内のそれぞれの地域のけん引役的農家ということだそうです。小村さんご夫婦は、文字通り「八重山農業のけん引役」であることが地域から認められるまでになっているのです。

 こうして小村さんご夫婦は幾多の困難と試練を乗り越えて、自分たちのマンゴー農園を建設することができたのでした。

 では小村さんご夫婦が困難や試練に直面したとき、小村さんのことばを借りれば「恩人」たちが現れ、小村さんご夫婦の夢の実現を後押ししてくれる人が次々と現れたのはただの偶然だったのでしょうか。小村さんへのインタビューは、2012年の2月の1回だけなので、学問的には根拠を示すことができないのですが、社会学の目で見てみると、それはただの偶然だったのではないと推測できます。いざというとき支え手となってくれる人との関係性とネットワークを創り出す生き方をご夫婦がされていたのではないかと考えます。

 小村さんご夫婦のマンゴー農園建設の物語に関してもうひとつ言及しておきたいと思います。それは、地域に根付いた生活の再建や地域づくりでは女性の力が大きな役割を果たしているのではないかということです。このことは、さまざまな地域を歩きながらフィールドワークをしてきて強く感じてきたことです。小村さんのお話を聞かせていただいたときもそのことを感じたのです。

 

     竹富島・白くまシーサー・ジャンのいちファン