シニアノマドのフィールドノート

生き生きと生きている人を訪ねる旅日記です

信仰と世俗倫理・人情(2)

 宮沢さんが仏教的世界観(宮沢さんは法華経の行者をめざして生きていくことを決意していくのですが、世界観という点から見ると、より幅広い信仰をたえずアップデートしつつ自己のものとして形成していったのではないかと思います。ここではそのうち、その中核を占めているものと考えられる仏教信仰に焦点をあてて考察することとしたいと思います。)を自己の内的態度とすることで自らの日常生活を規制することになった生活倫理とはどのようなものだったのでしょうか。特徴的なものだけに絞って確認しておこうと思います。

 まずこの確認のために鎌田さん著の『正法眼蔵随聞記講話』を参照することにします。なぜならば、道元さんは仏法のために世俗の倫理や人情を捨てることを最も徹底して要求することを主張しているように思えるからです。

 鎌田さんの解説によれば、「仏法は人生のためのものではない。人生が仏法のためにあるのである。この道元の覚悟(かくご)は世俗の価値を根本的に否定し、永遠の真理、すなわち仏法のみにすべての価値を置くことにもとづ」いているのです。

 道元さんはまた次のようにも言っていたといいます。「真理の前、仏法の前には自己は無でなければならぬ」。なぜならば、「真理を体現した自己が尊いのではなく、自己に体現せられた真理が尊い」のだからです。

 ではこうした何よりも仏法という真理を優先することは、どのような世俗倫理、そして人情とぶつかることになるのでしょうか。まず自己の命の重みの感情と倫理とが衝突します。道元さんは言います。「自己の身命は仏法の前には無に等しい」と。

 鎌田さんはそれを、「普通の価値観からすれば、何をさしおいても身体が大切である。死んだら何にもならない、と考えるのがわれわれである。しかるに道元は発病して死んでもよいから修行せよ、というのである」と解説しています。「命あっての物種」というのが私たちの生きていく上での常識なはずです。

 道元さんは、「男女の愛欲」に関しても、とくに出家僧にはかなり厳しい要求をします。道元さんは、「我執を離れよ」、すなわち「男女の愛欲」を離れよと要求するのです。鎌田さんの解説によれば、「我執には分別(ふんべつ)の我執と倶生(くしよう)の我執があるという。分別の我執とは環境的に生じた我執であり、倶生(くしよう)の我執とは、逃れることのできない我執である。知的な迷いと情意的な迷いといってもよい」のですと。そして、「男女の愛欲」こそ、「倶生(くしよう)の我執」の典型的なものなのです。

 すなわち「頭ではこの愛情は破滅(はめつ)の道しかないことは充分に分かっていても身体が承知しない。身体が識ってしまった悦楽(えつらく)を断ちきることは難しい。……だからこそ男女の愛情は業(ごう)としかいいようがないのだ。その業は死んでも残ってゆく。死とともに消えるものではない」のです。

 確かに「道ならぬ男女の愛欲は破滅(はめつ)への道」ということが少なくないかもしれません。しかし、一方では、人を愛し、恋する関係性には、生きる喜びとなる素晴らしい、そして美しい側面もあるのではないでしょうか。社会学は人間関係におけるその後者の可能性を重視します。

 スコットランドの哲学者にジョン・マクマレーさんという人がいました。人が人を愛する関係性に、知性理性よりもさらに高い理性性があると論じた人、それがマクマレーさんなのです。彼は「愛」にこそ人間最高の理性が存在していると考えていました。

 鎌田さんも、「男女の関係はお互いに愛しあう」側面があるとも解説しています。しかし、その後すぐに、「とともにお互いに傷つけあう関係であり、まさしく業としかいいようがない」のですとつづけているのですが。

 マクマレーさんが言う知性理性よりさらに高い人間最高の理性とは、自己ではない他者の価値を認識し、大切にするような形での他者との関係性のことです。そのメディアが「愛」という感情なのです。そのため「愛」は恋愛だけに見られるものではなく、さまざまな人間関係においても求められるのです。

 マクマレーさんは言います。人を「愛」することはすばらしいことなのです。どんどん人を「愛」してくださいと。同時に、しかし、そのとき、その愛は、自分を愛しているのか、それとも本当に他者(ひと)を愛しているのか自分自身に問うてくださいと強調するのでした。「私たちが、外の世界を自己の私的な欲求満足のために存在していると見做すとき、私たちは自己中心的なのです」と。

 驚いたことに、実は道元さんも同様の議論を行っていたのです。鎌田さんによれば、「道元は『正法眼蔵』の『礼拝得髄』のなかで男女の平等について述べているが、とくに女性を性欲の対象と見てはならないことを強調」しているのです。

 また女性は古来から「染汚(けがれ)」的存在として、聖なる場所から排除されるということがありましたが、道元さんは「人間の相(すがた)は染汚(けがれ)そのもの」であり、男性もそれから自由になるものではないと言うのです。「女性を性欲の対象と思う心を改めなければ仏者にはなれないという。若し女性を性欲の対象とみて軽蔑(けいべつ)するならば、男性もまた嫌うべき、いとうべき存在となる。けがれの因縁となることは、男性も女性も変わりがない」のです。

 宮沢さんはかなり早熟な人であったと言われています。このブログでも取り上げたように、中学校卒業直後の入院生活の中で、担当であった看護師の人に恋をし、結婚まで考えています。春画の収集もしていたと言われています。そして、それらのことは、日常の生活倫理からすれば、ごく普通のことであり、むしろ性的には健康なことであるはずです。

 先に参照したマクマレーさんは、多くの恋を経験することを奨励しています。なぜならば、人を好きになることで、自分以外の人の存在の価値を認識することを学び、より人間性を高め、育てることができるからなのです。たとえその恋が実らず、破綻することになっても、人を「愛する」ことの経験は人の感情を豊かにする上で、何ものにも代えがたいほどの経験になるだろうと論じていました。

 しかし、宮沢さんは結婚し、家族を創ることをしないことを決意するのです。1918年9月の保坂さんへの手紙の中で、「今後の繋累は断じて作らざる決心」であることを宣言していたのです。

 その「決心」をするに至った要因はきっとさまざまあるのだとは思いますが、やはり法華経の行者として生きていくことを覚悟していたことが大きかったのではなかったかと推測します。その覚悟を父に手紙で伝えたのが、同年2月のことでした。

 

          竹富島・白くまシーサー・ジャンのいちファン