シニアノマドのフィールドノート

生き生きと生きている人を訪ねる旅日記です

信仰と世俗倫理・人情(1)

 法華経の布教・伝道師および仏国土の建設者として歩むことを決心した宮沢さんが、その第一歩として行ったことは、童話をつくり「家族の前で読んで聞かせる」(吉田さんの年表)ことでした。それは、「蜘蛛となめくぢと狸」と「双子の星」という二つの童話でした。

 宮沢さんが「父に法華経行者として生きたいと手紙で伝え」(吉田さんの年表)のが1918年2月、宮沢さん22歳のときでした。その手紙には、「先づは自ら勉励して法華経の心をも悟り奉り働きて自らの衣食をもつくのはしめ進みては人々にも教え又給し」(『新校本宮沢賢治全集第十五巻』、以後「全集」と記述)たいと記されていました。

 さらに、「依て先づ暫らく名をも知らぬ炭焼きか漁師の中に働きながら静かに勉強したく若し願正しければ更に東京なり更に遠くなりへも勉強しに参り得、或は更に国土を明るき世界とし」(「全集」)たいとの自分の将来の抱負を記していたのです。童話をつくり「家族の前で読んで聞かせ」たのは、同じ年の8月のことでした。

 その後どのような活動の道を歩んでいったのでしょうか。ここではすぐにその考察に入る前に、信仰と世俗倫理・人情との関係について簡単に考察しておくことができればと思います。なぜならば強い信仰や信念をもった活動は、ときとして社会や他者との関係性において、緊張をはらみ、摩擦・葛藤・対立を生み出すだけでなく、自分自身との感情との衝突も生み出していくことになるからです。

 とくに既存の社会の変革をめざす活動であればなおさらそうしたことが起こりやすいと考えられるのです。事実宮沢さんも法華経の布教・伝道と仏国土建設をめざす活動の中でそうした摩擦・葛藤・対立に直面し、精神的にも苦悩する経験に直面していくことになるのです。

 私たちが生きていく中で所属している社会(世界)は一つではありません。自分の意思とは無関係なものも含め、かなり多様で多元的な社会(世界)に属しているのです。しかも、私たちが属している諸社会(世界)におけるそれぞれの規範(私たちの行動や振る舞いを規制する社会的規則)は均質で調和的なものであるとは言えません。

 むしろ、かなり緊張を孕み、矛盾・摩擦・葛藤・対立してもいるのです。例えば、私の家族の常識は、別の社会(世界)では非常識というような関係性はいくらでもあるでしょう。

 また私たちが生きていく上で感じるさまざまな感情の社会(世界)で受け入れられる表出の仕方も、それぞれ属している社会(世界)で異なっています。そのため属している社会の違いで感情的衝突や対立が起こることも珍しくありません。さらに個人が感じる感情と社会(世界)が求める感情表出が衝突・対立することもかなり頻繁に起こりえます。

 日本の大家族制度の研究を行った有賀喜左衛門さんは、親方・子方関係において、親方は血縁者といえども非血縁者の子方同様に従属的な態度で接しなければならないことに関して、親密な血縁感情といえども、主従関係的な「この生活形態を通して示現され」なければならいことを指摘していました。そのため血縁者を主従関係におくような生活形態を認めることがただちに親密な血縁感情を無視するものでないことに注意を促していました。

 すなわち、有賀さんは、ただ単に思いやりや温かな感情だけでなく、打算であれ、冷酷であれ、もろもろの感情は、日本においては大家族的生活形態を通して「示現」していると見なければいけないと言うのです。私たちが日常生活の中で刻々感じる感情は、そのままストレートに表出されるわけではなく、私たちが属している社会それぞれの諸規範というフィルターを通過することで表出されているのです。そのために、自分が本来的に感じている感情と社会規範というフィルターを通して表出される感情とにはギャップが生まれ、ときには大きく衝突することにもなるのです。

 このブログを書いているとき、たまたまNHKの朝の連続ドラマである「エール」を見ていました。その舞台となっている時代は太平洋戦争の時代です。主人公のパートナーである音さんのお姉さんが軍人である夫が前線に出征する二人だけの別れの場面でした。彼女は出征しようとしている夫に「無事に帰ってきてください」という言葉をかけるのですが、「軍人の妻が無事帰って来てくださいというような言葉を口にするな」と夫に叱られるのです。

 では軍人の妻である彼女はどのような言葉をかければよかったのでしょうか。「お国のために立派に戦って死んで来てください」とでも言えばよかったのでしょうか。この場面だけでも、個人が自然に感じる感情と社会規範によって求められる形で表出される感情との衝突が生じているように思えます。そしてそれは彼女にとって非常につらいことではなかったかと推察されるのです。

 では法華経の行者となることを決心した宮沢さんは自分の感情をめぐってどのような葛藤・苦悩を経験することになるというのでしょうか。

 

          竹富島・白くまシーサー・ジャンのいちファン