シニアノマドのフィールドノート

生き生きと生きている人を訪ねる旅日記です

エンゲルスさんの「イギリスにおける労働者階級の状態」を読む(9)

 宮沢さんとエンゲルスさんとでは、それぞれが生きていた時代と社会にどのように向き合う生き方をしていたかに関してはまさしく真逆の姿勢でした。しかし、同時になぜそのような姿勢の生き方になったのかに関しては共通する面もあったと思います。

 宮沢さんは貧しさゆえに生きるためだけの労働に苦しめられていた百姓の人たちに何とか楽しみとゆとりある世界をつくることをめざしていましたし、エンゲルスさんは生活の不安定化と窮状に陥っている労働者の人たちのために全般的な生活福祉が実現している世界をつくることをめざしていました。

 しかし、どのようにそうした世界を実現していくのか、その歩もうとしていた道はまさしく相反するものでした。エンゲルスさんは労働者階級のブルジョアジー階級に対する社会闘争勝利への道の探究に生涯をかけていました。そのためには労働者階級の人たちはブルジョアジー階級とその支配を打倒しなければならないと考えています。そうした考えのエンゲルスさんは、宮沢さんの姿勢をきっと以下のように批判したでしょう。

 宮沢さんは、もちろんブルジョアジー階級の人たちも含めてこの世に存在するすべてのものの真の幸福を実現する道の探究に生涯を捧げていました。エンゲルスさんからすれば、だからこそ、そうした宮沢さんの姿勢は、「ブルジョアジーには大いに寛大で、プロレタリアートには大いに不公平である」と批判しなければならなかったでしょう。

 そしてそうした宮沢さんの姿勢は、エンゲルスさんから見ると、愛や博愛などの通時的で、人間に普遍的な、それゆえ、歴史的進歩という点で言うと、非常に抽象的な「心理的発展」をもてあそんでいると思えたでしょう。

 さらに、エンゲルスさんは、宮沢さんの姿勢は、「既存の諸関係がどのように劣悪であっても、それを正当なものとみとめている」ものと批判せずにはおれなかったでしょう。とくに、エンゲルスさんは、「自由競争」を擁護するのかそれとも対抗するのか、ということが政治的革命にとって非常に重要な政策の分水嶺でした。

 例えば、エンゲルスさんは、当時の「穀物法の撤廃」問題についてですが、チャーティズム運動と急進派ブルジョアジー政党の政策についての違いに関する以下のような議論をおこなっています。

 チャーティズム運動が掲げている「一〇時間労働法案、労働者の資本家からの保護、よい賃金、地位の保障、新救貧法の廃止、といった労働者の従来の要求」、すなわち「本質的にチャーティズムに属するあらゆることは、自由競争と商業の自由に直接的に対立するものである」とです。

 しかし、急進派ブルジョアジー政党が掲げている「穀物法の撤廃」政策は、「それによって彼らは自由主義ブルジョアジー支配下におちいり、いまや極度になさけない役割を演じる」ことになっているのです。

 エンゲルスさんによれば、急進派ブルジョアジー政党の人たちは、「完全選挙権」を掲げ労働者の味方になったのだから、今度は、自分たちが掲げた「穀物法の撤廃」政策を労働者階級の人たちが支持してくれるものと考えていたのです。しかし、労働者階級の人たちは支持しないばかりか、その政策に大いに腹をたてているのです。急進派ブルジョアジー政党の人たちにとってそれは驚くべき、不思議なことだったというのです。

 エンゲルスさんは言います。「したがってイングランドの全ブルジョアジーにはまったく理解できないことであるが、労働者が自由競争や、商業の自由や、穀物法の撤廃についてはなにも知りたいと思わず、少なくとも穀物法の撤廃にはまったく無関心であるのに、それでいてその撤廃を擁護する者にたいしては極度に腹をたてていることは、驚くに値しない」のですと。

 エンゲルスさんによれば、「この問題こそ、まさにプロレタリアートブルジョアジーから、チャーティズムを急進主義からわける点」なのです。

 既存の社会秩序と体制の中で苦しんでいる人々を何とか救いたいという思いは共通しているのに、宮沢さんとエンゲルスさんとでは、そのために求めようとした道はどうしてこんなにも違ってしまうのでしょうか。

 その違いをいくつかの対照的キーワードで列挙してみたいと思います。敵・味方という対立関係の強調化かすべての存在の肯定化か、社会闘争の是認・奨励と忌避、(自由)競争の廃絶か宿命としての受容か、怒りと憎しみの感情(を駆り立てること)の是非、愛・博愛という人間的感情のもつ現状肯定作用への拒否か肯定か、などなどとなるのではないでしょうか。

 それらの違いがもつ意味を考察していくことは、社会学にとって非常に興味ある作業になるのではないかと予感します。

 

                  竹富島・白くまシーサー・ジャンのいちファン