シニアノマドのフィールドノート

生き生きと生きている人を訪ねる旅日記です

人に寄り添い、見守ることで支えるという生き方(2)

 空海弘法大師)さんと宮沢さんのすごさを、両者が自分の死んだあとでも、すべての人を痛みや苦しみから救ってあげたいと願い、そのための具体的な行動をとっていたということに感じます。

 それは、空海弘法大師)さんであれば、京都の東寺の五重塔の建立ですし、宮沢さんであれば、花巻と盛岡を囲むように連なって林立している山々に法華経を埋め込む埋経という行動です。それらは、空海弘法大師)さんと宮沢さんのすべての人を救いたいという願いを具体的な形にする社会的装置だったのです。

 京都にはこれまでも何度か足をはこんでいます。また、そのときは、東寺にも行きます。なぜならば、当時は京都駅に近いこともあって宿泊先からの朝の散歩コースの一つになるからです。終活を考えるようになり、その一環として宮沢さんに関心をもつようになる前は、東寺における建造物やそこに安置されている仏像の意味をあまり考えたことはありませんでした。

 東寺の建造物や仏像を見ても、歴史的にも古くかつ巨大なことで、本当にすごいなという感想をもつことがせいぜいでした。また社会学者の目で見たときには、それらは、社会的権威を誇示するためのもの以外のなにものでもないと思っていました。

 社会的権威とは、権力やお金、そして名声などを資源として、他の人たちを圧倒し、自分たちが行っていることの正統性を納得させ、支配する社会的規範です。しかし、宮沢さんに関心をもつようになってから、人々から心から信頼され愛されることも社会的権威の資源ではないかと考えるようになってきました。しかも、それらの資源こそ、社会的権威を持続可能なもの、永続的なものにするのではないかと考えるようになってきました。

 さらに、人々からしかも心から信頼され愛されるためには、人々の期待や願い、思いを裏切らないで応じてつづけていくことが重要になるでしょう。しかし、それは凡人には非常に難しいことなのではないかと思います。なぜならば、すぐに、どこかで、人々の期待や願い、思いを何らかの形で裏切ってしまう存在が凡人だからです。すなわち社会的権威は、容易にその化けの皮が剥がれるものなのです。

 でもそれでもいいのです。なぜならば、誰にとっても完ぺきで完全な人(この世に存在しているすべてのものを幸せにできる存在)はこの世には存在しないからです。しかし、あの世に入った人はそのことを限りなく可能とすることができるようになるのかも知れません。

 なぜならば、死んでしまった人の存在は限りなくリ理想化されるか、限りなく悪者化されるか、いずれにしてもそれまで生きてくる中でのさまざまな人生上の出来事の枝葉がそぎ落とされ、その人物の幹の部分が象徴化される形で後の人々に受容されていくからです。

 空海弘法大師)さんや宮沢さんの社会的受け止めもそうした象徴化された受容となっているのではないでしょうか。すなわち、生涯すべての人を痛みや苦しみから救いたいと願いつづけ、行動しつづけた人であるとです。

 そうした象徴化を促す働きをするものが上記の社会的装置なのではないかと、社会学的には考えます。最近京都歴史探訪というBSのテレビ番組を見ました。それは、空海弘法大師)さんの生誕1250年の記念番組で、東寺と高野山をめぐり、空海弘法大師)さんの人物像を浮かび上がらせようとするものでした。またまた、大いに勉強することになりました。

 その中で、とくに東寺の五重塔の開設に目を開かせられたのです。東寺の講堂にある巨大な仏像群は「立体曼荼羅」を表しており、視覚的に仏の教えを広めるためのものであると紹介されていました。

 それに対し、五重塔は、その壁面は東西南北の方向を向き、それぞれに異なる仏像が配置され、すべての人を痛みや苦しみから救うべく寄り添い、見守り、祈りの「電波」を送りつづけるためのものだと言うのです。

 何と言うことでしょう。空海弘法大師)さんは、自分の死後もすべての人を救うための活動をしつづけるための社会的装置を建設・創作していたのです。宮沢さんの法華経の埋教もそれと同じ願いがこめられていたのではないかと感じています。

 

                 竹富島・白くまシーサー・ジャンのいちファン