シニアノマドのフィールドノート

生き生きと生きている人を訪ねる旅日記です

祈りの人としてあった宮沢賢治さん

 ここまで宮沢賢治さんの人生を辿ってきました。宮沢さんは何を求めて生きてきたのか、社会学の目で確かめたいというのがその目標でした。本来であれば、全国を旅しながら生き生きと生活している人に出会い、その方の人生と活動に関する話を聞き、それをこのブログで紹介するというノマドワークをしたかったのですが。新型コロナの流行でそれが叶わず、自分の終活も兼ねての作業でした。

 しかし、いま、宮沢さんの人生のもつ豊饒な特異性のおかげで、多くの非常に興味あるテーマに出会うことができたと感じています。とくに仏教をはじめとする宗教について関心をもって学ぶことができました。それはほんの入門書的な文献による学びにすぎないものでしたが、新鮮に感じることができるものでした。

 ところで、昨年末ぐらいから日本においては新型コロナの流行が落ち着きを見せていたことで、いよいよ再度実際に旅に出てのノマドワークができるようになるのではないかと期待が膨らみました。そこで、手始めに、年末年始の時期京都の街を旅することにしたのです。

 せっかく少しは仏教について学んだことで、それが地域の人々の日常生活にどのように根付いているのかを感じてみたいと考えたからです。そのためのフィールドとして選んだ地が京都です。

 その理由は、京都は全国的にも著名な寺社が多く存在しており、ある意味での宗教都市的性格をもっているのではないかと考えたからです。それが人々の日常生活の中にどのように現れているか実際に少しでも体験できればなと思った次第です。

 宿泊するホテルも、あるお寺と組んで朝の祈りの勤めの体験をコンセプトにしているところを選んでみました。その初日、京都駅を降りホテルに向かって歩いているときに、さっそく期待していた京都らしさに出会うことができました。

 それは東本願寺の敷地に沿った歩道を歩いているときのことです。仏教の教えが4つの側面に書かれている小さな灯篭が歩道に沿って等間隔でたくさん立ててあったのです。そのとき夕刻でそれらの灯篭は教えの文字を浮かび上がらすようにオレンジに輝いていたのです。

 それらの教えの中で社会学との関係で興味あるものもあります。メモすることをしなかったので正確ではありませんが、「人間として生まれてきた意味について考えよう」や「人は縁に生まれ、縁に生き、縁に死ぬ」というような明りに浮かび上がった文字に目がとまりました。

 また滞在中、各お寺での定時の祈りの勤めに誰でもが参加できる機会が身の回りに数多くあることにも興味が惹かれました。それらの機会のいくつかに参加する体験をもちましたが、そのひとつに六波羅蜜寺の夕刻のお勤めに参加した経験が印象深く心に残っています。

 ただご住職の方々がお経を読誦するのを見守るだけでなく、そのときはご住職の方の法話もありました。その中に六波羅蜜寺を開いた空也上人が当時流行していた疫病にどう立ち向かったという話もあったのです。それは呪術的なものではありませんでした。空也上人は人々が日常的に使用している井戸と疫病患者数の関係性をつきとめ、多くの疫病患者が出ている井戸を封鎖するとともに新たな井戸を掘ることを勧めたというのです。

 さらに疫病で亡くなった方々を当時の死者を葬る作法であった土葬ではなく火葬することに取り組んだとの話もありました。まだウイルスなどの概念の存在しなかった当時にあって空也上人は実に科学的な対処法をとったものだなと驚きを感じながらその話を聞いていました。

 なぜならば空也上人の当時京都の街に流行していた疫病への対処のさいの思考法が科学そのものだと感じたからです。それは、宮沢さんの人生を辿るために仏教について学んでいて感じたことと重なっているものだったのです。私たちの社会科学における統計的分析法の出発点は、やはりヨーロッパ社会で疫病が流行したとき、下水道の水の流れと疫病流行のスポットの間の因果的関係性を探求することからはじまったと言われているのです。

 宮沢さんは、法華経と科学を総合して岩手県仏国土建設を行おうとしてきたことはこれまで見てきたところです。それよりもはるかな過去に空也上人が疫病の流行に際し、科学的思考法を基礎に対処していたとは、実に新鮮な驚きでした。仏教と科学との関係性(とくに社会学との関係性)を探求することも興味あるテーマなのでないかと思えてきています。

 また京都に滞在しながら、社会づくりと宗教との関係性にも興味が湧いてきました。それは、宗教者の中に直接何らかの社会づくりに関わった人も多く存在していたのではないかと、宮沢さんの人生を辿りながら気になっていたテーマとも重なるものです。

 そのテーマを探究していくときに重要になると思われる用語は、「祈り」、「真理(法)探求」、「実践」そして(反権力としての)「正義」などではないだろうかと思いを巡らせています。六波羅蜜寺におけるご住職の法話の中でも、「祈り」こそが人間の最高の力なのです話されていました。なるほどなと感じながらその話を聞いていました。

 それらの用語によって宮沢さんの人生を表現するならば、宮沢さんは「祈り」の人であったのではないかと感じます。仏国土を建設することで仏法の行き渡った世界を実現し、すべての人を幸せにしたいと願い、祈った人生だったのではないかと思います。宮沢さんが考える仏国土建設のための「実践」も試みましたが、残念なことに当時の社会意識や権力の介入によってその「実践」は挫折することになってしまいました。

 そのため宮沢さんは、自分の死が迫ってくる中で、仏国土建設のための自分の最後の仕事として、法華経の流布を図り、将来第2、第3の宮沢賢治さんが現れ、自分の意志を継承して仏国土建設に邁進してくれることを祈ったのではないかと想像します。

 

                  竹富島・白くまシーサー・ジャンのいちファン