シニアノマドのフィールドノート

生き生きと生きている人を訪ねる旅日記です

新型コロナの流行は社会の在り方を映す鏡

 個人的なことになりますが、現在の新型コロナの流行による社会的混乱と騒動は、丁度自分が定年退職し、今度こそ心おきなく自由に自分がやりたかったことを思う存分やってみたいと夢を描いているときに始まったのです。やってみたいと夢見ていたこととは、ノマドワークとしてフィールドワークをつづけることです。

 意気込んで準備をし、さあこれからという時期に新型コロナ騒動が勃発したのです。それ以来、自分の夢はその騒動に翻弄されつづけ、当初期待していた生活とは全く違った生活を余儀なくされています。

 ただそのことでよいこともありました。ひとつは、その時間を活用して宮沢賢治さんという一人の人物の人生にじっくり向き合えたことです。もうひとつが、自分自身の日々の生活を自分自身で面倒をみるという生活を楽しめたことです。そのお陰で、少なくとも自宅にいるときには、ルーティン化した生活を心ゆくまで楽しむという経験をすることができています。

 ルーティン化した日常生活の柱は、そのための買い物を含め食事を作り食べることと寝ることです。新型コロナ騒動が終わったあとのフィールドワーク継続のための健康と体力を維持するためのウォーキング、そして読書です。そしてこのルーティン化した日常生活のお陰でそれまでは日々目の前の忙しさに追われ、いくら願ってもえられなかった、ものごとをじっくり考えてみるための時間という人生の財産を手にしています。

 そうした生活の中、ふとこのブログでも取り上げた若者の支援活動をしている橋本正彦さんのところ出会ったひとりの青年のことが心に浮かびます。その青年は、仕事をやめ、毎日図書館に通い、読書三昧の生活をおくっている人でした。そして、青年が、その生活は楽しく、そのため毎日が充実していると話していた記憶が甦ってくるのです。

 そのときは今の青年は自分のころの青年ともっている感性がだいぶ違うなと感じていただけでした。しかし、現在おくっている生活に慣れてくるにつれ、その青年は豊かな感性の持ち主なのではないかと思うようになっています。なぜなら、若い時期にすでにじっくり物事を考える余裕をもった時間を大切にする生活の価値を感じとり、実際体現しているからです。

 そのような想いに耽っていたとき、いつも通っている図書館の書棚で、木村知さんの著作である『病気は社会が引き起こす インフルエンザ大流行のワケ』と出会ったのです。出会ってすぐに、「病気は社会が引き起こす」というタイトルに惹かれたのです。

 タイトルだけを見たときには、木村さんは社会学者の人なのかなと思いました。なぜなら病気をその原因と考えられる細菌やウイルスとの関係で論じるのではなく社会との関係で論じようとしているのが上記の著作だと思ったからです。例えば、社会思想家のエーリッヒ・フロムさんは自身の『正気の社会』と題する著作の中で次のような主張を提示しています。

 「個人が健康であるかどうかは、まずなによりも個人的な事柄ではなくて、その社会構造に依存している」。それゆえ、多くの人が病気となり健康を害している場合には、病んでいるのは個人ではなく社会なのであると。

 そのような見方をすることを仕事としてきたことから、木村さんの著作も社会学者の方のものではないかと早合点してしまったのです。しかし、読み始めてすぐに、木村さんが現役のお医者さんであることを知るのです。そこでがぜんこの本への興味が湧いてきたのです。それは、自然科学の分野に属しているお医者さんである木村さんは、インフルエンザの流行と社会との関係をどのように論じているのだろうかという興味です。

 もうひとつこの本をぜひ読んでみたいと思わせる事柄がこの本にはありました。それは、この本の出版年月日が、2019年12月10日であることです。その年月日といえば、現在の新型コロナによる社会的混乱と大騒動がまさに露になろうとしている時期ではないかと気づいたからです。

 直感でもしかしたらこの本には現在の新型コロナの流行による社会的混乱と大騒動を予言するようなことが書かれているかもしれないと感じたのです。実際に読んでみると、その直感は当たっていたのです。

 そして読み進めれば読み進めるほど、今回の新型コロナの流行は、現代社会のあり様を映し出す鏡の役割を果たしているなと強く思うようになっていったのです。

 

                  竹富島・白くまシーサー・ジャンのいちファン