シニアノマドのフィールドノート

生き生きと生きている人を訪ねる旅日記です

カゼをひいたらすぐに、安心して休める社会を実現する

 木村さんの本を読んでいて一番驚いたことは、かぜやインフルエンザはワクチンをはじめとする薬では治せないということです。それらの薬は一定程度予防してくれ、病気になったことで生じる私たちにとってとても不快に感じるさまざまな症状をやわらげてくれるだけだというのです。

 現在の新型コロナ騒動において、そのウイルスに効くワクチンや新薬が開発され、普及すれば自ずとその流行は収まり、以前の生活を取り戻せると単純に考えていたので、木村さんの指摘は青天のへきれきだったのです。ウイルスに効くワクチンや新薬の開発が流行を抑える切り札だと信じていたのです。ではなぜそれでは流行を抑えることができないのでしょうか。この疑問に関する木村さんの回答は、

 「いわゆるカゼというのは、ウイルスによる感染症だ。原因となるウイルスは、少なくとも200種類は存在するといわれており、しかも、カゼの半数の原因ウイルスであるといわれるライノウイルスには、少なくとも100種類の遺伝学的に異なるウイルス株があるとされる。この数百というウイルスをすべて個別に識別して駆逐してくれる薬剤を作ることは事実上、不可能であるし、そもそもカゼという自然治癒する病気を根絶するために、多額の研究開発費を投じて薬を開発しようと考える製薬会社が現れることもないだろう」というものです。

 しかも、せっかくワクチンを開発しても、それを使用する中でそのワクチンをスルーする変異のウイルスが生まれてきてしまうというのです。そして、この現象は現在の新型コロナの流行の中でも起きてきているのではないでしょうか。私自身も、3回目のワクチンを接種したのですが、報道によれば4回目は効かなくなるだけでなく、副反応の方が大きくなると言われているようですし、自分が打ったワクチンが効かなくなる新型コロナのウイルスの変種が次々と生まれてくることも予想されるとも言われています。

 ではそうした性格をもつインフルエンザ流行へはどのように対応すればよいのでしょうか。木村さんの提言は極めてシンプルです。すなわち、インフルエンザに罹ってしまったら、安心して休み、治療に専念できる社会を実現すればよいのです。木村さんは言います、

 「カゼやインフルエンザでつらい間は、そもそも『仕事にならない』のだ。つらい間は身体を休めるしかない。罹(かか)った人は、自身の安静のためと、周囲に感染を拡げないためという2つの理由のもと、仕事や勉強など気にせず堂々と休んだ方がいい。いや、休まねばならないのだ」とです。

 とは言っても日本社会はこれまでかなり重度のカゼに罹っても気軽に休めない社会だったのではないでしょうか。ましてや自分の子どもや親が病気になったからといって休むことなどもってのほか社会だったのではないでしょうか。

私事になりますが、スコットランドに滞在していたとき、滞在先のホームステイの人は自分の飼い犬の調子が悪いという理由で仕事を休んでいました。しかも、それを仕事先も社会も認めているようすだったのです。

 日本にはかなりひどいカゼに罹っても無理をして出社し、仕事をこなさなければ白い目で見られ、ひどいときには差別や排除の事由になりかねない空気が漂っているのではないでしょうか。そうしたとき休みをとること自体になぜか後ろめたい気持ちになってしまう位、私たちはそうした空気に馴染んでしまってもいるのではないでしょうか。

 さすがにインフルエンザに罹ったときには、会社に行かないようにとはなっているというのですが。しかし、そのときはそのときでそれがズル休みでないことを証明するために(自分の病気を治すためではなく)医者にかかりインフルエンザであることの証明書をもらわなければならないのですが。

 しかし、木村さんによれば、それがまたインフルエンザの流行を一層進めてしまう大きな要因なのだそうです。木村さんは指摘します、

 「普段と具合が異なっていたり、調子が悪いなら、自宅で安静にし、人には不用意に接触しないのがインフルエンザ対策としてもっとも重要なことなのだ」。「逆にインフルエンザが心配だから」、インフルエンザに罹っていないことの証明書をもらうためという理由のために「軽微な症状で医療機関に行くのは非常に危険だ。医療機関は本物のインフルエンザ患者さんが大勢いる、感染リスクが最も高い場所だからだ」というようにです。

 現在の新型コロナの流行との関係でこの木村さんの指摘を念のために敷衍しておくならば、非常に危険な感染症の場合には、いつでも、気軽に、そして安心して罹患の検査ができる検査のための専門機関の体制が整っていることが重要になるということではないかと考えます。

 そのことと関連して、上述の著者の中における現在の日本の医療体制と政府による医療政策についての木村さんの議論に耳を傾けなければならないと感じています。それは現在のそれらの状況は、<カゼをひいたらすぐに、安心して休める社会>とは程遠い状態にあるだけでなく、真逆の方向に動いていることを論じているのです。

 ここではその議論にふれる余裕はありません。関心ある方はぜひ木村さんの著書を手に取って読んでいただければと思います。

 その議論の結論部分だけに言及しておくならば、現代の日本の医療体制は、高い医療費を払えるだけのお金をもっているかいないかを基準とする選別的な医療体制へと急速に変質していると木村さんは警告を発しています。

 お金だけの問題だけでなく、現在の新型コロナの流行に関わる混乱と騒動を見ていると、人間関係弱者、交通弱者やインターネット弱者の人たちが予防、検査、そして治療から取り残され、放置されているのではないかと危惧される状況になっているように感じます。そのことはいずれ社会に跳ね返ってくるのではないかと思います。なぜならば、そうした状況とは、新型コロナの感染源が社会的に温存されつづけるということを意味しているからです。

 木村さんは自著のなかでそうした感染症と社会のあり方との関係性に警鐘をならそうとしていたのだなと気づきました。まさしく、木村さんの著書は、現在の新型コロナの流行の混乱と騒動の予言の書であるといえるのではないかと思います。

 

                  竹富島・白くまシーサー・ジャンのいちファン