シニアノマドのフィールドノート

生き生きと生きている人を訪ねる旅日記です

エンゲルスさんの「イギリスにおける労働者階級の状態」を読む(4)

 すでに確認してきたことですが、プロレタリア化する労働者階級の、社会づくりという視点から見たときの状態とは、エンゲルスさんによれば、社会秩序形成能力が欠如してしいるというものでした。

 しかし、他方では、エンゲルスさんは、資本主義社会の社会秩序を変革し、新たな社会秩序を形成する主体は労働者階級の人々であると位置づけていたのです。では、エンゲルスさんは、全般的(家族や地域コミュニティの社会秩序を含めての)社会秩序形成能力の欠如状態に陥ってしまう労働者階級の人たちが、どうして資本主義社会という既存の社会秩序の変革主体となりえると位置づけることができるのでしょうか。

 結論から言うとするならば、それは、イギリスの労働者階級の人たちは、カーライルさんのことばによれば「動物化」されてしまった状態から人間性を取り戻すには資本主義的な生産様式およびその様式にともなう社会秩序総体を変革しなければならないという客観的・必然的社会的立場に立っているからなのです、ということがエンゲルスさんの考えの根拠だったのです。

 まずエンゲルスさんは問います。「どこを向いてもいたるところで、持続的な、あるいは一時的な困窮、こうした状態あるいは労働から生まれる病、堕落を目にする。いたるところで、破壊、ゆっくりとした、しかし確実な、心身両面での人間本姓の破壊を目にする。このような状態がいつまでもつづいてよいのであろうか?」とです。

 そして、答えます。よいはずはない。「この状態はつづいてはならないし、またつづかないであろう」。なぜならば、「国民の大多数をなす労働者はそれを望んではいない」からなのですと。

 さらにエンゲルスさんは、つづけます。イングランドの労働者階級の陥っている「状態は一人の人間、あるいは人間の全階級が人間らしく考え、感じ、生活することのできるようなものではない……。したがって労働者は人間を野獣化するこの状態から脱出し、もっとましな、もっと人間的な地位を獲得しようと努めなければならない」のですと。

 イギリスにおける労働者階級の状態に直面することによって生まれた、エンゲルスさんのここまでフォローしてきた思いが、いかに宮沢さんが百姓の人たちの労働と生活に直面することで生まれた思いと共通しているのかということに、あらためて驚きます。じゃーどうして行けばよいのでしょうか、ここからエンゲルスさんと宮沢さんの志向する方向性が違ってきます。

 エンゲルスさんがめざしたのは、資本主義社会においてはブルジョアジー階級の人たちが支配体制となっている政治体制に戦いを挑み、権力を労働者階級のものとし、転覆する政治革命の道でした。

 エンゲルスさんは主張します。労働者の人たちが「もっと人間的な地位を獲得」するためには、「まさに労働者の搾取にこそ存するブルジョアジーの利益そのものに戦いをいどむ以外にはない」のですと。

 「しかし財産と、自分の意のままになる国家権力によって行使しうるかぎりの力とをつかって、ブルジョアジーはみずからの利益を守る。労働者が現在の事態から抜け出そうとするやいなや、ブルジョアジーは労働者の公然たる敵となる」でしょう。そのため、労働者階級の人たちは、この公然たる敵を倒さなければならないのですと。

 では、エンゲルスさんは、彼自身のことばで表現すれば、「人間的な地位」からもっとも遠ざかる存在になってしまう労働者階級の人たちがどうしてエンゲルスさんが考える政治革命の主体になり得ると言うのでしょうか。

 

                  竹富島・白くまシーサー・ジャンのいちファン