シニアノマドのフィールドノート

生き生きと生きている人を訪ねる旅日記です

エンゲルスさんの「イギリスにおける労働者階級の状態」を読む(3)

 永遠につづくであろう動揺と変動という社会秩序による生活の不確実性と不安定化の深化から自然必然的に生じる犯罪の増加は、社会にどのような帰結をもたらすのでしょうか。エンゲルスさんによれば、社会の解体化と万人の万人に対する社会戦争の全面的な勃発です。エンゲルスさんは言います、

 「この国では社会戦争が全面的に勃発している。だれもが自分のことだけを考え、自分自身のためにすべての他人と戦っている。また公然の敵であるすべての他人に損害をくわえるべきであるかどうかは、自分にとってなにがもっともゆうりであるかという利己的な打算にだけかかっている。平和な方法で隣人と意思を通じあうことは、もはやだれにも思いつかない。意見の衝突はすべての脅迫や、自助や、裁判によって処理される。要するにだれもが他人を排除しなければならない敵と見ているか、あるいはせいぜいのところ、自分の目的のために利用する手段と見ているにすぎない」のですと。

 そして、そうした社会戦争は、資本主義社会の基本原理である「自由競争のなかにすでに含まれている原理の、徹底的遂行」の帰結として、自然必然的に、ブルジョアジープロレタリアートという二大階級による戦争へと収斂していくとエンゲルスさんは主張します。

 問題は、だれが、どのような理由で、そうした社会状態とそうした社会状態から生じる「戦争」に終止符をうつことになっていくかということになっていきます。エンゲルスさんによれば、少なくともブルジョアジー階級の人たちはその社会的役割の担い手にはなり得ないと見ます。なぜならば、

 「驚くにたりるのは次の点である。来る日も来る日も新しい雷雲がわきあがり、ブルジョアジーにせまっているというのに、それにもかかわらず、社会状態にかんする怒りとはいわないまでも、その結果にたいする恐怖、すなわち、犯罪という形で個々別々にあらわれていることが全般的に発生することへの恐怖を感じもしないで、こうした出来事を新聞で毎日読んでいられるほど、彼らがあいかわらず静かで、おちついていられるのがそれである。しかしだからこそ彼らはまさにブルジョアジーなのであり、彼らの立場からは事実すらみとめることはできないし、いわんや事実の結果をみとめることなどできるものではない。ただ階級的偏見や、繰り返し教え込まれた先入観が、これほどにもひどく、狂気的と呼びたいほどにも、人間の一階級全体を盲目にすることがありうることだけが驚くに値する」ことなのですと。

 ここまでやや冗長な形でエンゲルスさんの「イギリスにおける労働者階級の状態」に関する記述を参照してきました。それは、このエンゲルスさんによる記述は、19世紀半ばの社会状況についてのものであるにも関わらず、21世紀という私たちが生きている現在の社会状況に照らしても決して色あせていない考察がなされているからです。

 いやむしろとくに労働市場の不安定化と不確実性の深まりに伴う生活の不安定化と不確実性が、いつ、だれに突如襲いかかってくるかもしれないグローバル化現代社会の社会状況に関する記述といっても過言ではないほど、エンゲルスさんの上記の記述は、現代社会の社会状況を生々しく描写しているといえるのではないかと感じます。

 すなわち、現代社会では、異常気象と並んで動機なき殺人事件や無差別大量殺りく事件などに象徴される異常な社会状態が、もはや異常ではなく日常化・常態化しつつあると言えるのではないでしょうか。

 同時に、しかし他方では、そうした社会的状態への人々の対応の形に関する考察が、エンゲルスさんの場合、あまりにも単純なブルジョアジープロレタリアートという二大階級による戦争という二項対立的図式になってしまっています。

 現代社会における社会生活をベースに見て見ると、「異常な社会状態」の出来事を他人事として毎日新聞を読み、テレビニュースを見ている人はブルジョアジー階級の人だけではなく、国民大半の人たちの生活様式となってしまっているのではないかと感じます。

 同時に、大勢の人たちがそうした「異常な社会状態」に危機感をもち、何とかしなければとさまざまな社会活動をしていることに勇気づけられもするのです。そして、それらの人たちはプロレタリア化した労働者階級の人たちだけということはなく、実にさまざまな社会的な立場と属性をもった人たちではないかと思います。

 「イギリスにおける労働者階級の状態」を著したエンゲルスさん自身も社会的属性から言えば、国際的なブルジョアジー階級の一員だったのではないでしょうか。そして、生存のためだけの労働生活に苦しんでいる百姓を救い、百姓たちが楽しく生活できるようになる道を何とか切り開きたいとの夢をもちつづけ、そのための社会活動に生涯をささげた宮沢さんも、地方財閥の一員だったのではないでしょうか。

 

                  竹富島・白くまシーサー・ジャンのいちファン