シニアノマドのフィールドノート

生き生きと生きている人を訪ねる旅日記です

人の願いや思いが社会をつくる

 今回から小村義信さんを紹介していきたいと思います。小村さんは、石垣市野底の栄集落でマンゴー農園を経営している方です。そして、小村さんの栄集落との関りを見ていくと、社会はやはり人の願いや思いによって形創られていくものなのだなということを実感をもって知ることができるのです。

 現代社会は、社会を構成している個々人に超絶して存立し、個々人の願いや思いとは全く無関係に、それ自体自然必然的な法則性によって不断に変動していくものと、社会科学は捉えてきました。社会学も基本的にはそうした見方をしてきました。なぜ現代社会はそうした性格をもつようになったのでしょうか。

 それは、私たちが生きている市場経済社会の性格によるものです。市場経済社会においては、それぞれ異なった思惑もった人々が、自分の経済的利益を求めて競争し合い、ぶつかり合う力の関係性によって社会のゆくえが決まってくるからです。そのゆくえは誰にも予測不可能なのです。社会科学ではその性格を諸個人の利己的力の競争し、ぶつかり合う力の「ベクトルの結果としての合力」という用語で論じられてきました。

 現代社会のそうした性格を社会学アノミーと呼んできました。アメリカのパーソンズという社会学者は、アノミーという性格をもった現代社会とは、「単一の普遍的な社会目標、すなわちマクロレベルの社会統合を図る価値が欠如した社会」であると指摘していました。その意味することは、現代社会では、私たちは協力してこうした社会をつくりたいという願いや思いで社会づくりをすることはできないということなのです。

 しかし、サークルや家族、そして地域社会など私たちに身近で、またメンバーの人たちが直接顔を合わせ、よく知り合うことができるような社会では、そのメンバー一人ひとりの人たちの願いや思いによって自分たちの社会づくりができるのではないかと思われるかしれません。私も、せめて自分たちに身近な社会だけでも自分たちの願いや思いが生かされている社会になればよいのにと考えてきました。しかし、現代社会の中では、そうした自分たちに身近で、小さな社会であってもそのメンバーの人たちの間で願いや思いを共有していくことが非常に難しいのが現実でもあったのです。社会はその中のただ一人だけの願いや思いだけでつくられるものではなく、より多くのメンバーの人たちの間での願いや思いの共有化が必要なのです。

 しかし、現代社会では、その願いや思いの共有化ができないために、たとえ多くの人の中で生活していても、精神的には、個々人はバラバラで、孤独にさいなまれ、ただひとり自分だけの力で生きていくしかないような世界となってしまっているのです。

 小村義信さんの栄集落との関りを通して、そうした社会と個人との関係性の問題を解いていくための糸口を見つけることができればと思います。同時に、小村さんの生き方を見ていくことで、人が人生上の困難に直面したとき、それをどのように乗り越えていったらよいのか、そのためのヒントを得ることができるのではないかとも感じています。何度も繰り返し述べてきましたが、現代社会は、いつ、どこで、どんなことが、決してそれは個人の自己責任ではないのに、私たち一人ひとりに降りかかってくるのかわからないという社会的性格の社会です。そうした社会の中でどうしたら生き生きと生きていくことができるのか、常にその問題を考えつづけていきたいなと思います。

 

     竹富島・白くまシーサー・ジャンのいちファン