シニアノマドのフィールドノート

生き生きと生きている人を訪ねる旅日記です

家族の協力と協働が支える江別港・麺こいや

 現代の家族関係を社会学的に考えるキーワードは夫と妻との関係における「相互的内助の功」ではないかと、私は考えてきました。そして麺こいやを訪問する中で感じてきたことは、麺こいやの橋本さん夫妻はそうした関係性を実現されつつあるのではないかということです。しかしそのことを言葉としてどのように表現することができるのかということについてはもやもやとした状態でした。そうしたとき出会った本が、高坂勝さんの『減速して自由に生きる ダウンシフターズ』でした。

 この本によると、高坂さんは脱サラし、東京でBARのマスターとなった方です。その高坂さんの現代社会における生き方論がこの本の中で展開されています。この本を読み進める中で、この本に書かれていることは橋本さんの生活の姿を言葉で表現しているように思えてきたのです。

 例えば、高坂さんは、BAR開業の準備として、高坂さんより前に脱サラし、飲食店を開いていた大学の同級生のところで修業をするのですが、そこで何よりも学んだこととして同級生の接客姿勢に言及し、次のように紹介していました。

 「お客様が清算を済ませて帰るとき、T君はどんなに忙しくても作業を中断して出口まで行きます。そして最後の会話を交わし、『ありがとうございました』を伝えます」と。この高坂さんのT君の接客姿勢の紹介は、まさしく橋本さんの接客姿勢を紹介しているように、私には読めたのです。

 出口まで行きお客を見送るという接客姿勢はサービス業の仕事としては普通のことではないかと思われるかもしれません。しかし、高坂さんは、その接客姿勢が、「会社のルールだから頭を下げている」のかそれとも「自然体での心遣い」によるものかで大きな違いがあるとのだと言います。「自然体での心遣い」による接客姿勢はお客にたいする関心と精神的ゆとりがあってはじめて可能となるというのです。そしてその精神的ゆとりはT君が脱サラしたことによって生まれた生き方から生まれているのではないかというのが、高坂さんの見解です。

 人にサービスを提供する仕事というのは、もしそれがただ単に自分の生活のためにお金を稼ぐためのものだったときには、私たちが想像する以上に精神的ストレスが大きいものであると言えます。社会学ではそうした労働のことを感情労働と呼び研究されてきています。そして感情労働の場合は、その大きなストレス発散の矛先が親しい身近な人間関係にある人たちに向けられることが多々起こるのです。そうすることで自分の精神のバランスを保っているのでしょう。

 橋本さんがカフェ・食堂を経営しているのは生活のためにお金を稼ぐためだけではありません。事業を通して、地域・商店街を元気にしたい、若者をめぐる社会問題を解決したいという強い思いがあるのです。橋本さんの接客姿勢はそうした思いから「自然体の心遣い」としてにじみ出てきたものなのだと思います。そしてその姿勢はお客だけでなく家族にも向けられているのではないかと感じてきたのです。

 そして橋本さんとともに麺こいやを支えている奥さんやおかあさんは、橋本さんがやろうとしていることに共感しているのではないかとも感じていたのです。ただ単なる手伝いや助っ人としてではなく、ひとりの協力・協働者として橋本さんがやろうとしている事業の担い手となっているように見えます。麺こいやでコーヒーを飲んだり食事をしたりしながらそうした関係性から醸し出される温かさを感じることができました。まさしく江別港・麺こいやは家族の協力と協働の力によって支えられていると言ってよいのではないでしょうか。

 先に参照させていただいた高坂さんは今全国にそうした夫婦・家族が広がっていることに言及していました。「仕事を辞めて新たに動き出したら望んでいたパートナーと出会って結婚したという例を何人もみてきました。未来の方向性が同じだと出会いもスムーズで絆も深くなり、2人で協力して夢に進めるのでしょう」と。

 

     竹富島・白くまシーサー・ジャンのいちファン