シニアノマドのフィールドノート

生き生きと生きている人を訪ねる旅日記です

空海(弘法大師)さんという存在

 これも私事になるのですが、宮沢さんへの関心は、自分の終活と関連したものです。年齢の違いを問わず、これだけ日本の多くの人たちから関心をもたれ、愛されている存在でありつづけているのは何かということに惹かれたのもしれません。

 宮沢さんがこれだけ有名になったのは、偶然の要因も数多くあったのでしょうが、有名になるには有名になるだけの確かな根拠もあるのではないかと思います。これまで出会ってきた宮沢さんの人生や作品を論じている諸著作の中には、なぜ宮沢さんがこれまで有名になってきたか、その要因を探究し、紹介しているものもありました。

 宮沢さんがこれほどまでに日本という社会のなかで有名になったのは、それらの研究書が明らかにしてきたように、偶然ではなく宮沢さんを有名にしようと努力してきた多くの人たちがいたこと、また宮沢さんの作品、とくに「雨ニモマケズ」の作品が戦前の戦争によって窮乏化が進んでいく生活を国民に耐えさせるために軍によって利用されてしまったこと、戦後も学校教育の中で普及されてきたことなど、さまざまな思惑で意図的に有名になるよう画策されてきたという側面も、確かにあったのでしょう。

 しかし、そうした形で社会的に広められてきた宮沢さんの生き様や作品が、多くの日本国民の心をとらえ、魅了してきたという側面もあったように感じます。とくに、宮沢さんの生き様にその側面があったように思います。

 ここ数年、個人の終活と新型コロナの流行のために人と交流するための旅ではなく、家族でお寺や神社をめぐる旅をつづけています。その中で、こんなにも多くの人たちが真剣な願い事をもってお寺や神社を訪ねているのかと驚く光景に度々出会ってきました。そのたびに、何が人をお寺や神社に向かわせるのか、考えさせられています。

 人には、例えば、家族など身近な人にさえ打ち明けられない苦悩や願い事を自分の身になって受け止めてくれ、耳を傾けてくれる他者を心から必要としているのではないかと感じるようになっています。

 また、私の場合は、宮沢さんに関心をもったことで、もし関心をもっていなければ決してそうしたことはなかったのではないかと考えられる気づきを経験することがあります。そのこともお寺や神社をめぐる旅の楽しみになっています。

 心に残っていることの一つに、個人的な願い事をするまえに、まず世界全体の平和や平穏、苦痛や苦悩からの自由、そして幸福や繁栄などをお願いするために参拝する場所というものがあるということを知ったということがあります。

 仏教が、星、天体、宇宙の世界論と深く関係していることを知ることができたことも大きな収穫です。その中で、北極星を神格化した妙見菩薩さんという菩薩さんが存在し、その菩薩をご本尊としている寺院が数多くあるということもはじめて知りました。北極星が宗教信仰のよりどころになっているのですね。人間にとって北極星が星座の中に占めている位置の大きさを感じています。

 また、空海弘法大師)さんの存在の大きさについてそれはなぜかを考えてみなければと思うようになってきたということもあります。それは宮沢さんがなぜこれほどまで日本の多くの人たちに愛されているのかという問いにもつながっていると感じるのです。

 そのように思うようになったキッカケは、さまざまなお寺をめぐっているなかで、それぞれのお寺のご本尊は違っていても、それにプラスして、空海弘法大師)さんの像や空海さんをまつっているお堂があるお寺が少なくなかったからです。そのことが、老若男女問わずだれからも慕われている宮沢さんへ親しみをもっている人たちが多いことを想起させるのです。

 空海弘法大師)さんと宮沢さんの生き様に共通するもの、それは、人の痛みや苦しみに、「寄り添い、見守る」ことで支え、求められたら適切な助言をすることで、心からそれらの痛みや苦しみから救ってあげたいという思いが、人々が自ずと感じ人々に自ずと伝わるような生き方をしてきたということではないかと考えます。それが現在のひとつの仮説です。

 「同行二人」、「デクノボー」ということばにその仮説の有効性・可能性を感じます。空海弘法大師)さんと宮沢さんは、世知辛いこの世の中で分け隔てなく、それまで全く縁がなくても必要になったときに、だれにとっても心のよりどころとなれる存在なのではないでしょうか。

 

                  竹富島・白くまシーサー・ジャンのいちファン