シニアノマドのフィールドノート

生き生きと生きている人を訪ねる旅日記です

宮沢賢治さんという人について

 吉田さんの宮沢賢治さんの人物論に関してもかなり手厳しいものがあります。吉田さんは論じています。

 「賢治は花巻という町、村の中でどのような〈異物〉であったか?それはこれからるる物語るが、彼もまた三つのキーワードを持っている。

 (A)質屋または地方財閥の息子という家庭+(B)東京モダン文化の花巻への移植をはかったインテリ性+(C)結核病患者という被差別性。

 即ち、彼もまた岩手県花巻という封建的農村の暗黒土壌=〈差別〉構造とぶつかりながら生きたのである。賢治という〈異物〉にそそがれる、あらゆる方向からの〈視線〉――そう、ナゼ賢治が農村改革に『演劇』(=演技の力)を選んだか、わかるだろ?そう、ナゼ賢治がいつも夜の草原や山や『ポランの広場』で踊ったか。それは、単にエコロジーな『月の光』にさそわれてではない。花巻の村の人も町の人も寝静まり、スベテの封建的な〈人間の視線〉が途絶える時間だったからではないのか?

 彼もまたある時は尊敬され、ある時は笑いものにされる〈監視〉構造の中で生きたのである」と。

 少々長い引用となりましたが、宮沢さんの人生を追体験する前提として大事な議論であると思い、引用させていただきました。ここで直ちに吉田さんの議論にコメントするのではなく、宮沢さんは、「農村改革」の実践者または農村という地域社会づくりの実践者という側面もあったのではないかという視点で、宮沢さんはどのような人物であったかについて社会学の視点で言及しておきたいと思ったのです。

 結論から言えば、宮沢さんの人物像は、以下の3つのキーワードで表すことができるように思います。孤独者、私が私がという英雄主義者、そして克己(禁欲)主義者というのがその3つのキーワードです。

 孤独者とはどういう意味なのでしょうか。それは自然が宮沢さんにとっての友達だったのではないかということです。自然は宮沢さんにとって対話の相手であり、精神的疲れや苦悩、そして心の痛みを癒し、回復させてくれる存在だったのではないでしょうか。

 宮沢さんはひとりで野宿しながら山野を放浪することが好きだったと言われています。小心で臆病な私からすれば、そうした行為は信じられないものです。とくに暗闇が支配する夜の山の中で一人で過ごすことはとてもできそうにありません。宮沢さんは夜の山中で自分一人しかいないことが怖くなかったのかと思ってしまいます。きっと宮沢さんにとっては、暗闇の山中より人間社会の世界の方に恐れをいだいていたのかもしれないと感じるのです。そんな宮沢さんを支えたのがイーハトーヴの自然だったのでしょう。

 私が私がという英雄主義者とはどのようなことを意味するのでしょうか。宮沢さんは、本当の幸せを探して、すべての人の救済を願い、そして実際に活動した人です。例えば、宮沢さんは、彼が生きていた当時の東北地方をたびたび襲った自然災害による飢饉的状況に、自分の健康や命さえ犠牲にして立ち向かったのでした。宮沢さんのそうした姿勢を象徴している作品が、「グスコーブドリの伝記」であると言われています。

 しかし、現在の地域社会づくりの分野では、ひとりではなく、みんなで楽しく、喜びを共有して活動することが、困難な状況を乗り越え、課題を達成する力となるとされているのです。宮沢さんは確かに崇高な活動をされた方であると思いますが、あまりにも自分一人で背負いすぎていたように感じるのです。悲壮感さえ感じられます。

 克己(禁欲)主義者とはどのような意味なのでしょうか。宮沢さんの自然や社会を見る目を大きく規定しているものは、仏教、とくに法華経の教えです。ただそうは言っても、宮沢さん自身、人生のすべての時期を通して、自然や社会をどのように見たらよいかについては、試行錯誤の道を歩んでいたのではないかと思います。宮沢さんの「童話」と言われている作品群は、その試行錯誤の文学的表現だったように感じます。

 また、宮沢さんは、「ほんとうの幸福」を探し続けて苦悩していました。そしてその苦悩の大きな要因のひとつは仏教への信仰だったように思えます。あまりにも仏教への信仰心が強かったために、人間存在が本来もっている欲求や感情を人間の本性に反してさえも抑制・抑圧、または押し殺さなければならなかったのではないかと考えています。とくに異性に対する欲求と愛情、近親者により強く沸き上がり感じる愛情を抑圧しなければならなかったことは、その苦悩を大きなものにしたように思います。

 このブログの主題は、生き生きと生きている人に出会う旅です。では宮沢さんは生き生きと生きていたと言えるのでしょうか。個人的な見解ですが、彼は一時期を除いては生き生きと生きた人生をおくったとは、決して言えないのではないかと感じざるをえません。

 

          竹富島・白くまシーサー・ジャンのいちファン