シニアノマドのフィールドノート

生き生きと生きている人を訪ねる旅日記です

神に救われすべてを捨てて百姓になったトルストイさん

 トルストイさんは、生きる意味を失い、自殺しかねない状況となった人生上の危機をどのように乗り越えていったのでしょうか。そして、そのことによってどのような人生上の転換を経験することになったのでしょうか。ジェイムズさんの著作に依拠してその軌跡を辿ってみたいと思います。蛇足ですが、ジェイムズさんが論拠としている文章は、トルストイさんの全集の中では、『宗教論上』の「懺悔」がそれに当たります。

 ジェイムズさんは論じています。「徐々にトルストイは次のような信念を固めるにいたった――そこまで達するのに二年かかった、と彼は言っている――自分が心を悩ましてきたのは、生活一般でも普通人の普通の生活でもなく、上流の知的、芸術的階級の生活であり、彼自身がいつも営んできた生活であり、頭脳的な生活であり、因襲と技巧と個人的野心の生活であったという信念を。彼は間違った生き方をしていたのであった、だから、それを変えねばならなかった。動物的要求のために働くこと、虚偽と虚栄とを放棄すること、公衆の困窮を救うこと、簡素であること、神を信ずること、そこに幸福はふたたび見いだされるであろう」というようにです。

 ここで「動物的要求のために働くこと」とは、生きるために自分自身の力で、自然を相手に、自分の体と肉体を使って労働するということではなかったかと思います。そうした中、「早春のある日、私は森のなかにただ独りでいて、そのふしぎな物音に耳を傾けていた。すると、私の思いはこの三年間の間つねに私が没頭していたことに――神の問題に、戻って行った」のです。

 そして、「あのお方は、その方なしには人間がいきられないあのお方は、ここにおられるのだ。神を認めることと生きることは同一のことなのだ。神は生命なのだ。そうなら、さあ!生きよ、神を求めよ、神なしには生命はないであろう」という啓示を受け取ったのです。それは、ジェイムズさんが主題としていた回心がトルストイさんに起こった瞬間だったのです。

 「このことがあってから、私の内部でも私の周囲でも、いままでになかったほど万事がうまくはかどった。そしてその光明がまったく消え去るようなことはなくなった。私は自殺から救われた」のです。

 そして「だんだんと、気のつかないうちに、生命のエネルギーが戻ってきた。そして……それは私が昔、子供のころにもっていた信仰の力であり、私の生活の唯一の目的はもっと善く(、、、、、)なることだという信仰であった」のです。

 そうしてみると、「因襲的な世間などというものはけっして生活ではなくて、生活の真似事(パロディ)であり、それに付随する余計なものがわれわれに真似事が真似事であることを知らせないようにしているまでのこと」なのです。そのことに気づき、「私は因襲的な世間の生活を棄ててしま」い、「農夫の生活を始めた」のです。

 トルストイさんは農夫の生活をすることで、「正しく幸福であると感じた、それ以来ずっと、少なくともある程度まで、そう感じていた」というのです。国柱会を去ろうとしたとき、宮沢さんは、できればトルストイさんがたどった同じ道をすぐにでも歩み始めたかったのではないかと推測します。しかしそうするには宮沢さんには大きな壁が立ちはだかっていたのではないかと思います。

 そこでこれから少し、トルストイさんから影響を受けることで宮沢さんがどのような思考過程を辿っていったと考えられるのか、そのことに関して推測的に考察していくことにしたいと思います。

 

          竹富島・白くまシーサー・ジャンのいちファン