2021-01-01から1年間の記事一覧
『春と修羅』を読んでみる(2) 『春と修羅』を読んでいてあらためて強く感じることは、心友の保阪さんと妹のトシさんの二人は、やはり宮沢さんにとって特別の存在であったのだなということです。宮沢さんと二人との関係は、恋する心になぞられて表現されて…
『春と修羅』とは宇宙意志・真理を把握するための宮沢さんの心象スケッチの記録なのだと思うのですが、それはどのような内容をめざした記録なのでしょうか。それはこの当時宮沢さんが自分の菩薩道をどのように考えていたかに関係していると考えられるのです…
宮沢さん自身のことばによれば、『春と修羅』は「或る心理学的な仕事」をめざしている素材創作のための作品群であると言えるかと思います。さらに言えば、そのある心理学的な仕事とは、新仏経典の創造ではなかったかというのが仮説です。その仕事の準備とし…
一度たりとも疲れを感じることがなかったくらい、楽しく、喜びに満ちた教員時代を送っていた宮沢さんは、しかし他方では、岩手県の自然と向き合い、切り開くことで、新たな仏国土を建設するという悲願実現のための行動にはただの一歩すら踏み出せてはいない…
トルストイさんの教育および教師論のすべてに応えることができそうでなかったとしても、農学校の教師時代は、宮沢さんにとって、人間関係という点で見れば、人生上最も充実し、幸福だった時期だったとのではないでしょうか。何と言っても自分が蘊蓄を傾け、…
宮沢さんは、農学校の教師時代、どのような教育をめざし、どのような教師であろうとしたのでしょうか。この点でも、宮沢さんはトルストイさんの教育論から大きな影響を受けていたものと考えられます。 トルストイさんが生き方でなによりも重視したのは、他人…
岩手県の大地を開墾・開拓し、仏的コミュニティを建設するという夢は、このままでは叶いそうにないと知ったとき、ではどうすべきか宮沢さんは大いに迷ったのではないかと思います。そのときのことを振り返ったものと考えられる「過去情炎」という作品があり…
国柱会に仏国土建設の「行」はないと悟り、去ろうとしたとき、トルストイさんの影響の下、今後どうすべきかに関して宮沢さんが最初に考えたことは、故郷岩手県に自分たちの手で仏国土とまではいかないにしても、仏国土建設につながるような仏コミュニティを…
トルストイさんが与えた影響を軸に宮沢さんの「思想と生涯」を探究しているのが柴田まどかさんです。柴田さんはその成果を、『宮沢賢治の思想と生涯 南へ走る汽車』の著作に表しています。 その中で、柴田さんは宮沢さんのトルストイさん(の作品)との出会…
少々しつこいようですが、宮沢さんの帰花後の行動の考察に入る前に、トルストイさんの性愛、恋愛、そして結婚に関する議論を参照しておきたいと思います。そしてその作業は、宮沢賢治さんと妹のトシさんおよび心友保阪さんとの関係を理解することにつながる…
田舎に戻ったトルストイさんは都会での慈善活動の失敗の原因は何かを徹底的に探究します。そして、最初に到達した結論は、都会の貧困者の非誠実的な性格というものでした。トルストイさんは論じます。 「都会の貧民に対する自分の態度を残らず思い起こしてい…
宮沢さんはトルストイさんから多くの影響を受けていたのではないでしょうか。とくに人を救うこととはどのようなことか、人を救う人はどのような人物で、どのように生きなければならないのか、そして人を救うためにどのようなことをしなければならないのか等…
トルストイさんは、生きる意味を失い、自殺しかねない状況となった人生上の危機をどのように乗り越えていったのでしょうか。そして、そのことによってどのような人生上の転換を経験することになったのでしょうか。ジェイムズさんの著作に依拠してその軌跡を…
幸福追求と宗教の関係の探究者という点で、ジェイムズさん、トルストイさん、そして宮沢さんの三人は関係しているのではないでしょうか。「本統(まこと)の幸せ」をどこまでも探しつづけるというのが、帰花以降の宮沢さんの一貫したテーマでした。そのテー…
国柱会の一員として仏国土建設に生涯を捧げるという夢を断念せざるをえなくなった宮沢さんは、法華経の流布者としての活動に邁進していくことになります。その活動とは、いわゆる「法華文学」の創作のことになります。通説では、それを薦めたのが、宮沢さん…
国柱会での活動に行き詰まりを見せていたとき、正次郎さんは賢治さんに対しどのような行動をとったのでしょうか。残念なことにそのときのことに関しては、門井さんの『銀河鉄道の父』の中では描かれてはいません。この時期の正次郎さん-賢治さんの親子関係に…
国柱会に入会し、日蓮さんの力で菩薩道を完成させるとともに、仲間をえることによって仏国土建設に生涯を懸けようとした宮沢さんの目論見は、あっけなく行き詰ります。しかも、この度の上京は、一生故郷である花巻には帰らないとの宣言をしてしまっていまし…
ここであらためて人を救うということを宮沢さんはどのように考えていたのか確認しておきたいと思います。というのも、国柱会に夢中になっていた時には、自分が成仏さえできれば自動的にすべての人だけでなく、万物の存在を救うことができるかのように思って…
二人だけで岩手山に登山し、一切の苦しむ衆生を救うため、「神の国」(保阪さん)・「まことの国」(宮沢さん)を建設することを誓い合ったころから国柱会での活動を経験しているころまでの、二人の、とくに精神的な歩みはどのように特徴づけすることができ…
宮沢さんが国柱会の門をたたくに当たってさらに夢見たこと、希望をもっていたこと、そして期待したこととは何だったのでしょうか。それは、国柱会こそが仏国土とはどのような社会(コミュニティ)であるかを、実際に体現し、示してくれるのではないかという…
日蓮さんの降誕700年の日が過ぎしばらくしても何ら奇蹟の起こる兆しは見えなかったのです。それだけでなく、期待していた父や心友保阪さんへの折伏も不成功に終わってしまいました。むしろ折伏の中で、とりわけ心友保阪さんとの間で大きな心の傷を生んでしま…
日蓮さんの降誕700年、そして「天業民報」の記事にある日蓮さんが「世間に行じ給ひ」ということは、宮沢さんにとってどのような意味をもつものだったのでしょうか。それは、宮沢さんと、もし宮沢さんの折伏を受け入れ日蓮さんの教えに帰依していたとすれば保…
社会変革への社会的風潮が高まる中、宮沢さんはなぜ自分の一生を懸けようとするほど国柱会へ傾倒していったのでしょうか。正確にはなぜ日蓮さんの教えに傾倒していったのでしょうか。結論から言えば、それは、日蓮さんの教えに従ってゆけば、自分が苦しむ一…